2019年5月12日主日礼拝
聖書
ヨハネによる福音書第6章52節〜65節
ヤコブの手紙第4章7節〜10節
崔牧師メッセージ
「皆さん、どうして丈夫な信仰生活を送れる人がいるでしょうか。
イエス様の肉を食べ、血を飲まないと死ぬと聖書に書いてあります。
『イエスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。』〈ヨハネ6:53〉
私達は死んでいる方とお目にかかっていますか?生きている方とお目にかかっていますか?
自分が力と命を得なかったら、何もできません。
霊的な筋肉がないと、霊的な骨がぼろぼろだと、走れないんですよ。
そうしたら、何ができますか。
『そういうわけだから、神に従いなさい。
そして、悪魔に立ち向かいなさい。
そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう。』〈ヤコブ4:7〉
私達の戦いは血肉の戦いではありません。
もろもろの天上にいる悪の霊に対する戦いです。
戦いにいどむ事ができますか?
皆さんを責めているのではないですよ。
しっかりしなさい、と言うことです。
私たちを造られて、救ってくださり、応援してくださる方を知ることが永遠の命なんです。
弱くて、力がなくて、
いつまで『あわれんでください」と言いますか?
聖餐式は儀式ではありません。
どうしてイエス様が
『私の肉を食べ、私の血を飲みなさい』
とおっしゃったのか。
泣きながらでも、『私に力をください!』
と、祈り求めるべきです。
聖霊と力を求めなさい、というのが御心です。
皆さんの心をイエス様はご存知です。
皆さん、どこに心がありますか?
赤ちゃんが成長したら、外に出て働くし、親孝行もするんじゃないですか?
いつまでも『お父さんお母さん助けてください』とは言わないでしょう。
信仰生活も同じです。
だから、しっかり勉強する時はして、力をつけて世に出て行くのと同じなんです。
神の国は弱い人の群れではありませんよ。
赤ちゃんの時は親からずっと助けを受けますが、ある程度になったら、自分が奉仕者になり、何かできる人になっていかないといけません。
イエス様なしには生きられない。イエス様が生きる力をくださいます。
イエス様に求めれば求めるほど力をくださるのです。
パンはイエス様の肉、すなわち命です。盃は血です。
イエス様の命を求めることです。
命はみことばを通してはたらきます。
『私のみことばを求めなさい』と言うことです。
そして、『あなたのキリストの服を着させてください。』
骨、肉、服。
自分のために泣きながら、
『あまりにも力がありません。力をください』
と、求めなければいけない。
力をいただいてないのは、求めてないからです。
立ち向かってください。
皆さんの中にイエスの御名があるから。みことばがあり、血があるから。
『私はイエスの血によってゆるされた。みことばによって命がある。』
と、わかったうえで記念すると、主が中ではたらいてくださるんですよ。
どうして『私を食べなさい』とおっしゃるか。
『私のことばが命だ』と、イエス様はおっしゃいます。
どれだけ私たちがイエス様の命を食べているでしょうか。
私たちの霊魂は満腹でしょうか。
イエスキリストの肉をしっかり食べて、血をしっかり飲むと、私たちの中に命があるんです。
『 イエス様の命が私の中に豊かにあります。』
アーメンしてください。
皆さんの中にイエスの命があるんですよ。
神様の命です。そんなに弱いものでは、ありませんよ。
なぜ弱いか?だまされているから、惑わされているからです。
霊的栄養不足です。
しっかり食べている人は全然違います。
骨が丈夫で、筋肉がついているなら、どんな戦いにも挑めるし、悪魔にしばられた人達を救いに導くことができます。
しっかり命がある人は妨害も問題になりません。
この教会も変わらないといけません。いつまでも赤ちゃんではないですよ。
信仰をもって、しっかりわかる人は求めていくから変わっていくんですよ。
『私の中に命がある!私の中にイエスの御名がある!私の中にイエスのみことばがある!私は肉を食べ、血を飲んでいるから命がある!』
立ち向かったら、私たちの中にある命を見てしりぞきます。
皆さんは神の子だから。
求めましょう。
霊的な筋肉をしっかりつけられるように。
そうすれば主は力を与えてくださいますし、神の御国のために働きができるようにしてくださいます。
立ち向かう霊的な姿勢は大事ですよ。辛い人は耐えてください。
イエス様の愛があるから、耐え忍ぶことができる。
時が満ちたら、主は注いでくださいます。
そして、自分を通して救いが起きるんです。
しっかり求めてください。」
アーメン!
メッセージ要約 M.N
