2019年2月24日「主よ、信じます」

2019年2月24日主日礼拝



聖書

マルコによる福音書第9章14節〜29節

マタイによる福音書第9章19節〜22節

マタイによる福音書第9章27節〜31節




崔牧師メッセージ


「 私たちが信じて、知っているイエス様はどんなお方だと思いますか?


どんな事でもできる方だと、本当に信じていますか?


私も皆さんも信仰はありますね。


でも、信仰によってはたらいてくださるイエス様はどういうお方でしょうか。


どんな事でも願って求めるなら、必ず成し遂げて、応えてくださる方だと本当に信じていますか。


イエス様は何でもできるお方です。


そういう方と向き合って、その方が導いてくださると、確信を持っているか、ですよ。


もしそうならば、何の心配も悩みもないのではないかと私は思います。


問題は何か。


イエス様は何でもできる方ですが、自分の信仰はどうかということです。


今この場所で、みんなと一緒にいると、


『アーメン!』


と言いますが、一人になると



『体が痛い』

『この問題の解決は不可能だ』


と、思ってしまう。


そんな時にも、必ず叶えてくださる方だと信じているか。



『霊はたびたび、この子を火の中、水の中に投げ入れて、殺そうとしました。しかしできますれば、わたしどもをあわれんでお助けください』
〈マルコ9:22〉



イエス様は何でもできる方だと信じ、その方に求めていけば、必ずなしてくださるのです。


問題は信仰がぶれる事ですよ。


時には疑い、目に見えるものに頼ろうとする。


何か起きると、信仰の態度が変わって弱くなってしまうのです。


『その衣に触れさえすれば必ず癒される』『この問題は私の目には不可能だが、必ず可能にしてくださる』


と、信じる信仰が私たちにあるのでしょうか。



イエス様の御前で



『できれば』



という言葉が必要でしょうか。



聖書では、ことばによって全てのことがなったと信じるのが信仰です。


そのことばが肉体となり、体を持ってこられたのが神の御子イエスです。


この方は2000年前の方ではなく、永遠前から父と共にみことばとしておられました。


私たちはすごいお方を信じているのです。


『その子の父親はすぐ叫んで言った、「信じます。不信仰なわたしを、お助けください」』
〈マルコ9:24〉


このみことばの父親は、叫びながら謝りました。


イエスの御名をもって祈りよび求める人には、必ず応えたくださる方がイエス様です。


イエス様は全知全能のお方ですが、


私たちがどんな思いでイエス様と向き合うのか。



『信仰の薄い私をおゆるしください』


としながら、信仰を立て直し、向き合う時に必ず応えてくださるお方なんですよ。



神と私たちの関係は、信仰によって成り立っています。


信じる事がどれだけ大きな力でしょうか。


聖書には『信じると神の栄光を見るであろう』と書いています。


『そしてイエスが家にはいられると、盲人たちがみもとにきたので、彼らに「わたしにそれができると信じるか」と言われた。彼らは言った、「主よ、信じます」。」
〈マタイ9:28〉



この盲人たちの告白が、私たちの告白であるように。


『主よ、信じます』


力をいれて、大声を出さなくてもいいんです。


ただ、心で信じればいいんです。


信仰も上からきます。


二人の盲人も口から『信じます』ということばが出た時に、目が見えるようになりました。


皆さんの心の中に『信じます』という告白が出た時、癒される。


これが信仰の力です。


神の義はイエスです。


でも、私たち人間からみたら、義は信仰です。


持っている信仰とイエス様が出会った時に、救いが起こるし、癒しが起こるのです。


『はい、主よ。信じます。』


これから、私たちひとりひとりにやる事をイエス様が与えてくださるし、


この教会を通して、イエス様がなさる御心があります。


その事を信じて、なんでもできる方を信じる信仰によって歩んで行けば、必ずイエス様が成し遂げてくださいます。



信仰をもって歩んで行きましょう。」




アーメン✨



メッセージ要約  M.N