2018年10月28日主日礼拝
聖書
エペソ人への手紙第5章1節〜13節
崔牧師メッセージ
「
イエス様は父から遣わされて、何のためにこの世に体をもってこられたのでしょうか。
『神にならうものになりなさい』
みことばにあります。私達は神のこどもですから。
子供は親の背中を見て育つといいますが、私は自分の子供たちに『私の背中を見なさい』と言えるのか、自信がありません。
パウロははっきりと『私にならう者になりなさい』と言っています。
私の父は勤勉な方でした。
畑を耕し、蚕や家畜を買い、一年中働いていました。
お米を作っているのに、お米は売って、そのお金で田んぼを買い、自分たちは麦を食べていました。
私は両親から勤勉さを学びました。
神様にならう前に、人を通して学ぶものもあります。
どんな人にも学ぶところがあります。
『私なんか。』と思う人もいるかも知れませんが、皆さん意味があって、この教会に集められたのです。
イエス様に直接学べたらもちろんいいですが、
どうしてこの教会にひとりひとりを集めたのか。
イエス様は天から『私の話しを良く聞きなさい!』
という方ではありません。
直接み声が聞ける人もいますが、
イエス様は人を通して語ってくださる事が多いのです。
また、みことばを通して、讃美を通して。
そして、聖霊様がくださる思ってもない祈りに導かれることもあるのです。
イエス様は私達を生かしてくださるために、わざわざ体をもって来られ、血を流してくださり、『私の肉を食べなさい』とおっしゃいました。
イエス様のみことばが、私達を生かしてくださるのです。
イエス様は私達に、赦し合うこと、愛し合うことをずっと語ってくださっています。
ひとりひとりに対して学ぶ事は多いですが、神から学ぶ事はレベルが違います。
あまりにすごい方ですから。
愛、いつくしみ…など。
兄弟姉妹や親を通してならおうとする思いが自分を成長させてくださいます。
それは自分が低くならないとできません。
そうする時に、きっとイエス様がはたらいてくださり、大いなる恵みを与えてくださるのです。
神にならうものとなるように歩んで行きましょう。」
アーメン✨
メッセージ要約 M.N

