2018年10月7日「油注がれたダビデ」

2018年10月7日主日礼拝



聖書

サムエル記上第18章第1節〜5節




崔牧師メッセージ


「ヨナタンはサウル王の長男でした。


ダビデはただの羊飼いでした。


ダビデの父はエッサイで、ダビデは末子です。


ダビデはサムエルを通して、主から油が注がれました。


その後、サウル王の中に悪霊が入り、病気になり苦しみました。


その時、ダビデの琴を聴いて癒されたのです。


サウルの長男がヨナタンです。


やがて、ペリシテ人と戦が始まり、ゴリアテという巨大な兵士がいましたが、それをダビデが倒し、イスラエル軍が勝ちました。


そして、サウル王に呼ばれた時に、ヨナタンと出会ったのです。


その時、ヨナタンとダビデの心が結びつき、ヨナタンは自分の命のようにダビデを愛したのです。


ヨナタンは、自分の着ていた上着を与えました。



ただの羊飼いであるダビデに。


王の世継ぎとしての権威を持っているヨナタンは、その権威がダビデに移ろうとしといることを感じながらも、権限の象徴のような、戦衣や剣、帯などをダビデに与えました。


ヨナタンは、ただの羊飼いで、なんの資格もないダビデに


神さまからの油が注がれていくのを感じました。


そんなダビデにサウル王は嫉妬し、殺そうとします。


それから、ヨナタンはダビデを何度も助けるのです。


自分が次の王になると決まっていたら、欲が出るものですが、


神さまの油が注がれた者を、命をかけて助けていくのです。


この友情は深いものがあります。


このみことばを読んだ時に、


私はこの教会のために、福音のために、どれだけ従っているのか恥ずかしくなりました。


普通は人から褒められたい、認められたいという人間的な思いがあるものです。


でも、ヨナタンは違いました。


王になる権限を捨てながらも、神様が指名した人を全力で救ったのです。


イエス様は十字架にかかってくださり、全てを捨てて私達を救ってくださいました。


私たちはどのように歩んで行けばよいでしょうか。


私も、命を捧げながら『この人を救ってください。日本を救ってください。』


と、思うのが自分の献身ではないかと思います。


イエス様はなんでもできる方なのに、十字架にかけられました。


ダビデもサウル王を殺すこともできたのに、殺しませんでした。


サウル王の死後は、ヨナタンの子を探して


障害者であるその息子を引き取り、王の食卓に共につかせながら面倒をみました。


自分の力で王になったのではないので、


神様の御心にダビデも従うのです。


イエス様も私達を『我が友よ』と呼んでくださいます。


イエス様の全き愛です。


この教会もひとりひとりイエス様の全き愛をいただいています。


だからこそ、兄弟姉妹のために、隣人に何ができるか。


そう尋ねながら信仰を持っていけばよいのではないでしょうか。



ヨナタンはダビデがかわいそうだから助けたのではありません。


油が注がれた者だから助けたのです。


自分の信仰とこの教会の信仰がイエス様から油が注がれた者なら、


どんな方法ででも助けてくださいます。


この教会は、日本の田舎にありますね。


この教会からリバイバルが起こったら、すごい証しになります。



主はアドラムのほら穴にいるダビデのもとに、問題のある者を集めました。


この教会もおんなじではないですか。


自分を捧げて、自分ができることを献身していきましょう。」



アーメン✨



メッセージ要約   M.N