2018年6月24日主日礼拝
聖書
ヘブル人への手紙第12章5節〜6節
ヨハネによる福音書第15章16節
マタイによる福音書第4章4節
宮浦伝道師メッセージ
「クリスチャンになる前、わたしは自分を全き者だと思っていました。
そして、教会に導かれたのですが、
教会というのは、心の安定した人達がいるところだと思っていたのですが、そういう人達ばかりではなかったので、私は『ここは私の来るところではない』と思いました。
次の日から三日間高熱を出したほどでした。
そして、ある教会の人が語るみことばによって惑わされ、
『あなたが語っているみことばは聞きたくない!』
と聖書を投げて5年間読むことができない時期がありました。
でも、讃美がそのような私にはたらいたくださったのです。
主の導きは、その人に合ったものをくださいます。
讃美の中にあるみことばによって、私は導かれ今ここにいます。
数年前に、教会で聖劇をした時に、私はトマスの役を与えられました。
そして、トマスを調べるために聖書を読みました。
劇の中では、他の皆さんはみことばを語っていたのに、私は人間的にセリフを語っていました。
でも、その劇中、『我が主、我が神よ』と自然と告白していたのです。
イエス様が導いてくださいました。
信仰上の辛いことも、苦労だ、苦難と感じていました。
私は両親が亡くなって、『ひとりぼっちになった』という思いになり、気力もなく、家族の問題もわずわらしく感じていたのですが、
神の子となって、喜びがわき、嬉しくなりました。
その時に、聖書は自分が生きていくのに大事なものだとわかったのです。
聖書とはどういうものなのか、聖霊様が導いてくれました。
『がんこなお前だから、私の元に来なさい』
と、導いてくださり、霊的な父を感じました。
聖書は難しい、信仰生活は難しい、と思っていたのですが、今はみことばに聞き従い、できなくても近づいていくことが一番の喜びです。
イエス様のみことばに聞き従うことが、近道です。
今は喜びをもって、この場所に来ることができます。
そして、みことばは生きています。
『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きるものである』〈マタイ4:.4〉
私自身の力で『みことばを読まなければ』と思わなくても、
自然とみことばが私の中に入っています。
自然と主が触ってくださるから、自然とついていく思いになります。
私は以前は人前では笑顔を作って、心の中では人をさばいていましたが、
今は心からの笑顔でにこにこしている自分がいます。
これも主がくださった愛です。
『イエス様に選ばれたこと、愛されるていること、赦されたこと』
その事をもっと自分の中で花開かせていきたいです。
『イエスの御名をいただいた、神の子だ』
と、思うようになりました。
神様に喜びを持って従いながら歩んで行くことが、楽しいし、喜びです。
主が私たちを愛してくださっていることをいつも持ち続けて、みことばに聞き従っていく。
肉体が滅びるまで、頑張りたいです。」
アーメン!
メッセージ要約
M.N

