2017年12月17日「後の者は先に」


2017年12月17日主日礼拝


今週は牧師先生が韓国のネヴィウス弟子宣教会にて出張で不在のため、ヒョン宣教師がメッセージを語られました。


聖書

マタイによる福音書第20章1節〜16節

ぶどう畑の主人がひとり1デナリの契約をして労働者を雇うたとえの場面です。




ヒョン宣教師メッセージ



「このみことばにある『あとの者は先になり、先の者は後になるであろう』という事は全ての福音書に書かれてあります。


表現は違っていますが、書かれています。


これは天国について語っています。天国は家の主人のことです。


1デナリの契約で雇われた労働者に、1時間しか働いてない人にも朝から働いた人にも契約通り1デナリ支払ったところ、朝から働いた人は怒って不平を言います。


労働1時間の人にも9時間の人にも同じ賃金だったのです。


これは「あなたのものを持って行きなさい」という神の御心です。


でも私たちは神の御心を誤解してしまいます。


誰かと比べて、


「どうして私にはこうなのか?」と。


しかし、神様の御心は平等です。


私は親になり、初めて親の心を知るようになりました。


私は4人兄弟ですが、幼い頃はどうして雨の日に親が迎えに来てくれないのかと不満に思いました。


ほかの人は迎えに来てくれるのに。今日は来てくれるのではないかと期待しても来てくれませんでした。


私も結婚して、子育てしながら悟ったのです。


母の心は迎えに行ってあげたい。
でも4人別々の学校だったから行けなかったのです。


信仰を持って、神を知るようになった時も周りの信仰者と自分を比べていました。


「なぜ、あの人はこうなのだろうか?」


神の御心はもっと知ろうとした時にひとつひとつ教えてくださいます。


そして、同時に妨害する悪魔も働きます。


私たちが、イエス様に近づこうとするからです。


その中で祈りが大切です。


祈りがなければ悪魔の計画にだまされるのです。


神の御心は簡単であるにもかかわらず、世の道が良いから無駄な事にたくさん時間を費やしてしまう。


私もゲームにハマったことがあります。


軽い気持ちで始めたのですが、抜け出すまで6カ月もかかりました。それが誘惑です。


スマホを触らないと不安になる人は中毒です。


文化は発展しますが、便利であればあるほど神の御心とは離れてしまいます。


文明の奴隷になってはいけません。


救いは神様の最高の贈り物、恵みです。


そして、救いは行いではなく、信仰によるのです。
〈エペソ人への手紙2:8〜9〉

ただ信じて告白すればよいからと、恵みを軽んじる事があります。


罪を犯しても悔い改めたら良いと。しかし、『知っておきながら犯す罪は大きい』と主は言われます。


天国は狭い道です。人々は広い道に行きます。


決断して従順しないといけません。


入ろうとしても入れない人は悔い改めない人です。


行いによってではなく、信仰と正直な悔い改め。


救いを受けた事を軽んじないで、信仰によって得たので、イエス様がいらっしゃるまで信仰を強く持ち続けないといけません。


行いによって救いを受けるのではありませんが。行いがない信仰は死んでいるとあります。


するならちゃんとすることが神の御心だし、親の思いです。


言葉だけの信仰は神がご存知です。


神が見えないからと軽んじるのではなく、神がいつも見ていると、自分の信仰を持つべきです。


私たちの教会を通して、神の恵みが大きく、救いを受けたら全ての罪が赦され永遠の命があるということを伝えましょう。


御心とおりになる教会になりましょう。」


アーメンキラキラ



メッセージ要約  M.N