2017年7月30日「御言で祈る」


2017年7月30日主日礼拝



聖書
コロサイ人への手紙第1章9~14節




コロサイ人への手紙第1章9~14節
『そういうわけで、これらの事を耳にして以来、わたしたちも絶えずあなたがたのために祈り求めているのは、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力とをもって、神の御旨を深く知り、主のみこころにかなった生活をして真に主を喜ばせ、あらゆる良いわざを行って実を結び、神を知る知識をいよいよ増し加えるに至ることである。更にまた祈るのは、あなたがたが、神の栄光の勢いにしたがって賜わるすべての力によって強くされ、何事も喜んで耐えかつ忍び、光のうちにある聖徒たちの特権にあずかるに足る者とならせて下さった父なる神に、感謝することである。神は、わたしたちをやみの力から救い出して、その愛する御子の支配下に移して下さった。わたしたちは、この御子によってあがない、すなわち、罪のゆるしを受けているのである。』




崔牧師メッセージ




「私たちは信仰をもって、自分自身の霊魂のために何を願って、どのように祈り求めているでしょうか?



人間の考えで、このようになりたい、こうしていただきたいという思いも、もちろんあるでしょう。



ですが、聖書の中にはたくさんの御言が書かれています。



御言は、イエス様の御心です。



ですから、私たちが御言をもって祈る時に、イエス様はもっとも喜ばれるのではないでしょうか。



ですが、祈りの応答がすぐにくるとは限りません。



時間がかかることもあります。



7年間車の運転ばかりしていた、とある伝道師がいました。



その伝道師は、自分もメッセージを語ったり、賛美を導きたいのに、車の運転ばかりさせられたことに不満があり、牧師に、『どうして私は車の運転ばかりしないといけないのですか?』と、尋ねました。



その伝道師は、あとからクビになりました。



その伝道師は、7年間自分の願いをイエス様に祈り求めてきたのでしょう。



ですが、答えをくださる時まで、忍耐して待つことができませんでした。



皆さん、自分の思いで、『私はもうこれくらい求めてきたのに答えをくださらないから、もうやめます』と、言いますか?



時はイエス様が決められていることであり、忍耐して待ち望む人だけが、答えを受けることができます。



皆さん、先ほど一緒に読んだ箇所の御言をもって、祈りましょう。



ここの箇所は、パウロがコロサイの教会のために祈っている内容について書かれていますが、コロサイ人にではなく私自身に、またいのちの道キリスト教会に与えてくださっている御言だと思って、今から祈りましょう!!



『私に、またこの教会に、あらゆる霊的な知恵と理解力とを与えてください。』



『私が、またこの教会が、神の御旨を深く知ることができますように。』



『私が、またこの教会が、主のみこころにかなった生活をして真に主を喜ばせることができますように。』



『私が、またこの教会が、あらゆる良いわざを行って、実を結ぶことができますように。』



『私に、またこの教会に、神を知る知識を増し加えてください。』



『私が、またこの教会が、神の栄光の勢いにしたがって賜わるすべての力によって強くされますように。』



『私が、またこの教会が、何事も喜んで耐えかつ忍ぶことができますように。』



自分自身のためにあきらめることなく、切に祈れる人が、他の人のためにも同じように祈れるようになります。



祈り求めることができないような思いに妨害されることも、確かにあります。



否定的な思いをくれる者は、悪魔しかいません。



霊的に勝利して、変わらずに祈り求めていく私たちとなりますように、祝福してお祈りいたします。」




アーメン✨


メッセージ要約   Satoko.M