2017年4月23日「初めのように」


2017年4月23日主日礼拝


聖書   
使徒行伝第2章29~47節



使徒行伝第2章38 ,39節
『すると、ペテロが答えた、「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。 この約束は、われらの主なる神の召しにあずかるすべての者、すなわちあなたがたと、あなたがたの子らと、遠くの者一同とに、与えられているものである」。 』



崔牧師メッセージ



「私たちはつねに、信仰の初心、原点に立ち返ることが大切です。


私たちがはじめの愛から離れてしまう原因はさまざまありますが、最も多いのは高ぶりでしょう。


信じて救われたばかりの頃は、『感謝します』『助けてください。教えてください』『私に何かできることはないでしょうか』と、幼な子のように素直です。


それがいつのまにか勝手に成長したかのように、『それは前にも聞きました』『それくらい分かっているのに』と、頭が大きくなっていることもあります。


イエス様は、『幼な子のようにならなければ、神の国に入ることはできない』と、言われました。


ぺテロが、死んで3日目によみがえられたイエス様のことをあかしして、そのことを聞いた人々が強く心に刺されて、どのようにすべきか、ぺテロに尋ねます。


私自身は、当時は結婚する前ですから彼女ですが、彼女から、『私の行っている教会に行ってみませんか?』と言われて、行ってみたことがはじめの愛でした。


私は、強く心に刺されるということはありませんでしたが、講壇からのメッセージを聞いているうちに、何か分からないけど、涙が滝のように流れ落ちてきて、今までの自分の罪の悔い改めに導かれました。


イエス様に出会った時の悔い改めとは、『今までイエス様のことを知らずに生きてきた自分自身』を、イエス様のみまえで申し上げることです。


イエス様と出会い、イエス様の死とよみがえりのことが分かったならば、イエスの御名によるバプテスマを受けます。


心に信じて義とされ、口で告白して救われます。


罪がゆるされた印として、臨まれる方が聖霊です。


信仰の原点がここにあります。


ですが時間がたつにつれ、あの兄弟、あの姉妹がどうだこうだと判断したりして、まっすぐにイエス様に向き合えない時もあります。


本当は、そんな時間もありません。


救われた者として、からだがある時に、いかに御国のために働くべきかに思いを持って、歩むべきではないでしょうか?


先ほどは I 執事が司会をされましたが、イエス様がくださった時を生かして用いる時は、今しかありません。


まだあるまだあると思うから、軽んじてしまったり、時間を無駄にしてしまうことがあります。


47都道府県のために祈っていますが、いつ行くのでしょうか?


エルサレム、ユダ、サマリヤの全土とイエス様が言われましたから、このいのちの道キリスト教会はとどまることなく、救われる者を日々増し加えてくださるように祈り求め、働くべきです。


イエスの御名によるバプテスマを授けることも、この牧師だけではなく、皆さんひとりびとりが、それぞれのところでイエスの御名によって授けるようにしていかなくてはいけません。


これから私たちひとりびとりが、イエス様がくださった恵みの中にしっかりとどまり、いつも自分の中にイエス様がくださった喜びと平安が満ちあふれて、イエスの御名によって力強く働けるように、求めていきましょう!」



アーメン✨


メッセージ要約 Satoko.M