2017年2月26日「狭い戸口から」

2017年2月26日主日礼拝



聖書
ルカによる福音書第13章22~30節




ルカによる福音書第13章23~30節
『すると、ある人がイエスに、「主よ、救われる人は少ないのですか」と尋ねた。 そこでイエスは人々にむかって言われた、「狭い戸口からはいるように努めなさい。事実、はいろうとしても、はいれない人が多いのだから。 家の主人が立って戸を閉じてしまってから、あなたがたが外に立ち戸をたたき始めて、「ご主人様、どうぞあけてください」と言っても、主人はそれに答えて、「あなたがたがどこからきた人なのか、わたしは知らない」と言うであろう。 そのとき、「わたしたちはあなたとご一緒に飲み食いしました。また、あなたはわたしたちの大通りで教えてくださいました」と言い出しても、 彼は、「あなたがたがどこからきた人なのか、わたしは知らない。悪事を働く者どもよ、みんな行ってしまえ」と言うであろう。
あなたがたは、アブラハム、イサク、ヤコブやすべての預言者たちが、神の国にはいっているのに、自分たちは外に投げ出されることになれば、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。 それから人々が、東から西から、また南から北からきて、神の国で宴会の席につくであろう。 こうしてあとのもので先になるものがあり、また、先のものであとになるものもある。』




崔牧師メッセージ



「私たちは救われた者として、狭い戸口から入ろうとできる限り努めます。


御国に行った時に、イエス様からおぼえていただけるような信仰者になりたいからです。


狭い戸口からはいるには、さまざまな苦難や試練が伴いますが、はいったあとのイエス様にお目にかかる時を思えば、喜んで受けられるでしょう。


苦しみながら、『従順したくないけどしないといけない』と、嫌々するものではありません。


『イエス様が群衆の中で語られた時に私もいました』、『イエス様が食事をされた席に私も一緒に食事しました』と、ただただイエス様と同じ場所にいたというだけで、
イエス様が自分自身の中で命となって働いていなければ、お客さんと変わりません。


そのような人は御国に行った時に、『わたしはあなたを知らない』と言われるでしょう。


そうなったら、残念ですね。


私自身、信仰をいただいてからさまざまな試練がありましたが、苦しみながら、嫌々受けたことはありませんでした。


狭い戸口の向こう側で待っておられるイエス様のことを思えば、苦しいとは思いません。


喜んで従順する時に、報いが大きいです。


イエス様を知って、信じる信仰が与えられたのだから、御国に行った時に、『よくがんばってきたね。お疲れ様』と、イエス様から言っていただけるような信仰者になりましょう。


喜んでイエス様のみこころにかなうことを行い、足りないところはイエス様にゆだねて、祈り申し上げながら従順していく、イエス様からいつもおぼえていただける信仰者になりますように、イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。」



アーメン


メッセージ要約  Satoko.M