「光として来られたイエス」2019年12月22日

2019年12月22日クリスマス礼拝




聖書

ヨハネの福音書第1章1節〜18節
ヨハネの福音書第3章16節




智慧宣教師メッセージ


「イエス様は光としてこの世に来られました。



私たちが生きているこの世の中は暗闇だと聖書では言っています。



それは物理的な光がないということではなく、神様の栄光がない所だということです。



聖書でいう光とは、イエスキリストのことです。



なぜ世の中が暗闇なのか。



それは、天使が堕落して、神と同じになる事を望み、



そして高ぶって追い出されたのがこの世の中です。



だから、悪魔が閉じこもっているのがこの世界であり、



だからこの世界は暗闇なんです。



私たちの人生は、時が過ぎると体が衰え、この世の中は永遠なものはありません。



人生を生きると、時には人に言えないような辛さがあったり、理解できない問題が起きます。



なぜ苦しみの人生なのか。



それは、私たちの罪のせいで神様を見ることができないからです。



私たちの中に罪があって、神様との壁ができて、心が惑わされ暗くなっているからだと聖書では言っています。



この世の中を支配しているのは悪魔です。



だから負の力、死の力が働きます。



アダムとエバを初めに創りましたが、その人間がなぜ罪を犯したのでしょうか。



人にある欲のすきから罪を犯したのです。



神のみことばに不従順しました。



神様の御心は、私たち人間が神様がくださるもの、神様のいのちで満たされて生きることです。



イエス様が光としてこの地に来られたのは、私たちを救うためです。



これがクリスマスです。



英語でキリストはクライスト。



全世界でお祝いされるキリストの日です。



サンタさんがプレゼントを持って来る日ではなく(笑)



本当の意味は、イエス様がキリストとしてこの地に来られた、インマヌエル神我らと共におられるという意味です。



ことばが肉を持って来られた。その方は神でした。



私たちは、今礼拝をささげていることは想像もできなかったのではないでしょうか。




イエス様の十二弟子の中に、ナタナエルとピリポという人がいました。



2人は友達でした。



ある時ナタナエルはいちじくの木の下にいました。




ピリポが先にイエス様を見て、ナタナエルに『私たちが待ち望んだ救い主が来られたよ。見てみよう』



と、イエスのところに行きました。



イエス様の元に行った時、すでにナタナエルをご存知でした。



『ナタナエルはイエスに言った。「どうして私をご存知なのですか。」イエスは答えられた。「ピリポがあなたを呼ぶ前に、あなたがいちじくの木の下にいるのを見ました。』〈ヨハネ1:48〉



皆さんがここにおられるのは、イエス様が皆さんの人生を見ておられ、ひとりひとりを見て、探して、招いてくださったからです。




この主の日、クリスマス礼拝の日に、皆さんひとりひとりを見ておられ、主が招いてくださったんです。



私は母がお腹の中にいる時から教会に行っていましたが、



信仰として神様が生きておられるのか。



イエス様が本当の神様なのか…。



信仰の悩みがありました。



でも、主はすべてを知っておられ、こんなちりのような小さな私を呼んでくださり、



こんな私のためにイエス様が光としてこの地に来られ、十字架にかかり死んでくださった。



これが物語ではなく、この事実が私のためだと確信して、それがとても感謝です。



『この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。』〈ヨハネ1:5〜6〉



イエス様がこの世に来られたのは、悪魔のわざを滅ぼし、悪魔の元にいる私たちを救うためにこの地に来られました。



『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである。』〈ヨハネ3:16〉



神がどんなに私たちを愛してくださったのか。




そのひとり子である御子を、惜しむことなく差し出してくださった。



それが神の愛です。



これほどの大きな愛はありません。



この世の中は草や花のようです。



初めは青々としてとてもきれいですが、結局は枯れてしまいます。



私たちも若い時は何でもできそうですが、歳を取ると体力は落ち、体はどんどん衰えます。



この世には永遠なものはひとつもないのです。



人の心も永遠ではなく、時には裏切られたりします。



でも、まことの光、永遠なものは主にあります。




イエスこそが光であり、永遠なる方です。



その方によって、私たちは永遠の命を得ることができるのです。



神のことばが肉体を持ってこられ、その方は恵みとまこととに満ちていました。



神の満ちる栄光を持っておられる。それがイエスの御名です。



それを信じる者たちは、イエスの御名によって祈れば、何でも叶えられます。



私たちは体の中にある霊が、本当の姿です。



この霊に神の永遠の命を持った人となり、神の栄光が満ちあふれ、命が満ちあふれ、喜びが満ちあふれ、



光の子となった私たちは他の人に光を照らすことができる、輝かすことができる、そのような皆さんひとりひとりになることを祝福します。」


アーメン✨


メッセージ要約 M.N