2019年12月8日主日礼拝
職分者によるメッセージ
聖書
コロサイ人への手紙第3章12節〜17節
エペソ人への手紙第1章11節
ローマ人への手紙第10章14節
イザヤ書第64章8節
岩吉執事メッセージ
「私は自分の信仰を振り返り、みことばと照らし合わせながら、自分がどのように6年間の信仰生活を歩んで来たのかを語りたいと思います。
"ですから、あなたがたは神に選ばれた者、聖なる者、愛されている者として、深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容を着なさい。
互いに忍耐し合い、だれかがほかの人に不満を抱いたとしても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。
そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全です。
キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのために、あなたがたも召されて一つのからだとなったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。
キリストのことばが、あなたがたのうちに豊かに住むようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、忠告し合い、詩と賛美と霊の歌により、感謝をもって心から神に向かって歌いなさい。
ことばであれ行いであれ、何かをするときには、主イエスによって父なる神に感謝し、すべてを主イエスの名において行いなさい。"
〈コロサイ人への手紙 3章12~17節〉
最初にこのみことばを読んだ時、私が今まで聞いたこともない赦しの心を、初めて悟りました。
信仰を持つ前の私はどんな人であったか。
それなりに明るい性格でしたが、でもとても自己中心的でした。
そして、見かけがとても大事でした。
お金が無くても、洋服をカードで買ったりしていました。
また、何よりお酒が大好き。
結婚して子供もいるのに、友達の誘いにもすぐ乗っていました。
そして、旅行も大好き。
生活は大変なのに、自分の好きな事は何でもしていました。
夫婦ケンカをしても、絶対に自分からは謝らない。
向こうが謝るまで、一週間でも口を聞きませんでした。
子供に対しても、そのような母親でした。
神の愛を知らなかった私は、ただ自分の中で苦しんでもがいていました。
でも、主が導いてくださり、6年たった私に変化がありました。
イエス様が鏡となって変わりました。
神様が私たちを選んでくださって、導いてくださいました。
『またキリストにあって、私たちは御国を受け継ぐ者となりました。すべてをみこころによる計画のままに行う方の目的にしたがい、あらかじめそのように定められていたのです。』〈エペソ1:11〉
私は韓国語講座を通して、ヒョン宣教師やチェ牧師先生と出会いました。
イエス様の偉大なる計画のままの目的に従って、私たちが導かれました。
韓国語という出会いで主が働いてくださり、イエス様の存在を知ることになりました。
何も知らなかった私が、ひとつ門をくぐっただけで、イエス様とふれあうチャンスをいただいた。
これは人生の大きな分岐点となりました。
それが、神様の偉大なる計画の中にあった。
そのことをみことばを通して深く感じます。
『しかし、信じたことのない方を、どのようにして呼び求めるのでしょうか。聞いたことのない方を、どのようにして信じるのでしょうか。宣べ伝える人がいなければ、どのようにして聞くのでしょうか』〈ローマ人10:14〉
韓国語講座の時に、先生がただ韓国語だけを教えていたとしたら、私たちはただ韓国語の生徒であって、何も知らずにいたでしょう。
このみことばのように、語ってくださる方、伝えてくださる人がいなければ、聞くチャンスがありませんでした。
イエス様がその計画の中で、ひとつひとつ導いてくださったのです。
罪の中にあって、その罪が何かも知らずに過ごしていて、人を赦すこともできず、お金や見かけといったものに属されていた、硬い土壌の私に、
イエス様が色々な学びを通して、多くの種をまいてくださいました。
今までの人生とは違う、倍速で変わっていきました。、
イエス様がみことばを通して導いてくださり、聖霊も約束通りくださいました。
韓国語を通して主と出会えた恵みを感じずにはいられません。
皆さんも、主の偉大な計画の中で恵みが注がれています。
神様によって変えられた事が大きな恵みです。
私は以前、鏡で自分の姿を見て、『よし!』と出かけていました。
今はイエス様が鏡です。
みことばを聞いて、私をかえりみさせてくださって、今の私になったことを感謝します。
牧師先生や宣教師が導いてくださったように、今度は私がバトンを受け継いで、語る番がきました。
私が神様と出会ったように、これからは私が周りの人が出会えるようにしてあげなければなりません。
そのバトンをいただいた役割があります。
家族、職場の人、友達…
主が同行してくださるところで、私も共に働けるように、と願っています。
足りない私ですが、自分の思いを神様の基準に、みことばを基準にして変えられたことが、この6年間の信仰生活の大きな恵みです。
『しかし、今、主よ、あなたは私たちの父です。私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。私たちはみな、あなたの御手のわざです。』〈イザヤ64:8〉
私は昔、陶芸を習っていたのですが、
陶芸はとても繊細で、ろくろを回しながら、指を少し動かしただけでも形が薄くなったり、厚くなったり形が変わるんですね。
粘土は最初とても硬いのです。
それをずっとこねてこねて、柔らかくして形を整えていくんです。
私も最初とても硬い粘土でした。
でも、イエス様と出会い、何度もイエス様がこねて柔らかく伸ばしてくださり、形になるようにして下さいました。
今はイエス様がろくろを回しながら、良い形にしてくださいます。
『すべては御手のわざにある』
私たちがどういう器になれるか。
自分の陶器の形を想像してみてください。
イエス様はわざをなさる方です。
そのことを信じて祈っていく時に、主がはたらいてくださって、立派な器になっていけるのではないかと思います。
いのちの道キリスト教会ひとりひとりが、共に分かち合い、みことばを通しながら、素晴らしい器に焼き上がっていくことを祈っています。
小さなカップ、大きなカップ、薄いカップ、厚いカップ…
ひとつひとつ器は違いますが、主が用いてくださる器になるように。
私が神様と出会い、そして礼拝ささげることに喜びがあります。
以前は『なんでいつも礼拝に来ないと行けないのか』と思う事もありました。
でも、自分が主によって変わることができました。
まだ実にはなってないかも知れませんが、イエス様によって清められることがどれだけ感謝かわかりません。
今は、
『どうぞ私の霊魂を清めてください。主に近づけて変えてください。私ができなかったことを、あなたが変えてくださいました。』
と、祈っています。
ひとりひとりがそのように、礼拝を感謝する私たちとなれることを祈っています。」
アーメン✨
メッセージ要約 M.N

