2019年11月24日
献身礼拝
創立記念礼拝
収穫感謝礼拝
聖書

ヨハネの福音書第21章15節〜23節
ヨハネの手紙第一第1章1節〜4節
智慧宣教師メッセージ
「私たちの神様は、永遠前から自らおられる方です。
何かに頼らなければ生きられないのが人間ですが、
神様は頼る必要がなく、自らおられる方です。
神様を知れば、人という存在もわかります。
神様は命があるから、万物に命を与えることができます。
草も花も動物たちにも命があります。
しかし、神様が持っていらっしゃる永遠の命は人間だけにくださいました。
霊である神様と付き合うために、人間は霊的存在として造られました。
神様の心は、私たちをすべて満たしてあげたいと願っています。
神様はご自分の姿を、御子イエスキリストを通して現しました。
イエスキリストの死によって、私たちは永遠の命を得ました。
私たちはその命は目には見えませんが、
一歩一歩導いてくださいました。
これは、私たちが一日何時間も祈ったり、自分の頑張りによるものではなく、
ただ神様の功労による恵みによって、私たちは
愛を経験して、永遠の命を得たのです。
『私たちが見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えます。あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父また御子イエスキリストとの交わりです。これらのことを書き送るのは、私たちの喜びが満ちあふれるためです。』〈第1ヨハネ1:3〜4〉
私たちが交わりを持つということは、主が私たちを高めてくださり、
ご自分を低くされたということです。
それが私たちにとっては大きな恵みです。
私たちは神様と交わりを持つことで、喜び、愛、祝福…
主から受けるばかりです。
偉大なる方と被造物が交わりを御子イエスキリストを通してできる。
その方を送ってくださったことが大きな愛です。
御子は体を持っていましたが、父の愛で満たされていました。
そして、死に至るまで従順されました。
人間は罪だらけです。
そのままでは、神様に会うことができません。
体がある限り、表には出さなくても、心の内には色んな感情があります。
その深いところで神様と出会うのです。
だから『隠れた所で祈りなさい』とおっしゃるのです。
主は深いところを見ていてくださいます。
私たちのすべてをさらけ出した時に、主は慰めてくださり、愛を注いでくださいます。
主と私たちの関係は聖書では色々あらわされていますが、
戒めを守る者が神を愛するものであり、
みことばに従順する者を友と呼んでいます。
私たちはみことばの中で神様と付き合いを持ちます。
その関係には色々な例えがあります。
父と子、主人と僕、そして友。
『愛』という言葉はギリシャ語では三つあるそうです。
男女の愛はエロスの愛。
親子の愛はアガパオの愛。
友としてのフィレオの愛。
父が御子を愛しておられ、すべてを与えたのはアガパオの愛です。
ペテロに『あなたは私を愛していますか』と尋ねるのは、2度目まではアガパオの愛として。
そして、最後はフィレオとして聞きました。
このように、イエス様を愛して従う者にご自身の事情を任せて、『羊を飼って牧しなさい』と言います。
愛は神様のものです。
私たち人間は、人を愛することができない存在です。
神様の愛があるから人をゆるす事ができます。
振り返ってみたら、主がくださった恵みがどんなにたくさんあるでしょうか。
皆さんをここまで導いてくださったのは、神様の大きな愛です。
イエス様とペテロの関係。
ペテロはイエス様を誰よりも愛していたから、みことばに従順しました。、
しかし、ペテロは自分の中にあった、イエス様を真に愛せない罪の姿が現れました。
イエス様を愛して、従う者たちは、光が入ってきて、このように自分の罪が現れるのです。
その時、本当の自分の姿を見て苦しくなります。
しかし、神様は私たちに与えようとされ、私たちと一つになることを望んでいらっしゃいます。
イエス様を愛する者に、ご自分をあらわしてくださるし、
従う者に心をあらわしてくださるのです。
『わたしの子羊を飼いなさい』
主の思い、事情をペテロに任せました。
私たちにくださった神の愛と恵みにもっと感謝して、神様との親密な付き合いを持つように慕い求めましょう。
それぞれ信仰の長さも違いますが、
主がひとりひとりを導いてくださいます。
主を友として受け入れ、親密な関係を求める皆さんになって欲しいです。
主の心を知って、事情を知ってにない、主のために私たちをささげ、主のために歩んでいきましょう。』
アーメン✨
メッセージ要約 M.N

