2019年10月20日主日礼拝
聖書
ヨハネの手紙第一 第4章7節〜21節
崔牧師メッセージ
「 『愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。恐れには罰が伴い、恐れる者は、愛において全きものとなっていないのです。』〈ヨハネ第一4:18〉
『愛において全きものになっていない』とは誰のことでしょうか。
『恐れる者』のことですね。
何をするにしても、平安と力をくださるイエス様の思いは、恐れがないイエス様の愛です。
イエス様の愛は尽くす愛です。
全人類の罪を取り除くため、全てを父にささげて、
私たちに対する父の愛をイエス様が現してくださいました。
ここに神の愛があります。
イエス様を信じている私達が、どんなに素晴らしいものを受けているのでしょうか。
心からハレルヤですよ。
ある方は、『私はいつ死んでもいい』とおっしゃっいますが、
本当にいつ死んでも、恐れがなく、イエス様がいらっしゃるところに行けるのでしょうか。
私は日本に留学していたのですか、
信仰を持ち、留学を辞めて神学校に入るために、韓国に戻ろうとした時に、恐れがわいてきました。
日本に留学する時、父は大変喜び、田畑を売って応援してくれました。
親戚にも見送られ、期待されて日本に来たのに、それを辞めようとしている…。
私がしようとしている事は、世的には理解されない事でした。
その時、周りの人達に対して、恐れがありました。
『私の中の恐れを取り除いてください!』
と、切に祈りました。
その時はまだ信仰を持って、間もない時でした。
そして、神学校に入るために、1年間祈りました。
もっとイエス様に対する愛がわいてきました。
そうすると、家族や親戚から大変な迫害を受けました。
でも、イエス様の愛を受けたときに、
『何があっても、この道を全うします。イエス様の十字架を背負います』
と祈ったのです。
イエス様は確信をくださいました。
一番の親孝行は両親が救われる事です。
私は涙を流しながら祈りました。
イエス様は私たちの祈りと願いを必ずきいてくださる方です。
可愛い息子が訳の分からない西洋の信仰を持って、留学を辞めて帰って来たから、理解できず、憎んだのです。
色々なことがありました。
信仰を持っていくと、霊的な戦いがあります。
でも、イエス様がくださった愛は、素晴らしい力があります。
全く恐れがないし、喜びがありました。
『私はイエス様のために迫害を受けている』、と。
迫害を受ければ受けるほど、喜びがありました。
イエス様が私たちにしてくださった事を考えた時、私たちがイエス様のみ前でどうあるべきでしょうか。
皆さん、イエス様が私たちにくださった、全き愛がわかっているじゃないですか。
自分の中で、イエス様の十字架の愛がわかっていないと、色々な恐れが襲ってくるのです。
何もしなかったら、救いも起こらないし、迫害もありません。
『なんでイエス様はこのような苦難や葛藤を与えるのか』
と、思う時があるかも知れませんが、
ひとつひとつ、その苦難をどれだけ喜びをもって関わっていくかで、イエス様が働いてくださるかが違います。
人々には、安住したい、楽に生きたい、という思いが誰にでもあります。
でも、イエス様の道は、狭い道、狭い門です。
なんで狭い道を選び取って行こうとするのか。
そこに、永遠の命があるからです。
イエス様の愛は、恐れがない全き愛です。
イエス様は私たちが何回失敗したとしても、離れません。
最後まで愛してくださる方です。
イエス様が十字架を背負った時、弟子たちは皆、逃げました。
それでもイエス様はそんな弟子たちを最後まで愛し通されました。
イエス様はそういう方です。
私も恐れがあった時、祈り求めたら、イエス様の愛を示してくださったのです。
今、私には恐れがありません。
いつまでも私たちを愛してくださるイエス様がいるから、私たちには勝利しかないんです。
だから、たくましく、雄々しく。
私たちの中にはイエス様を愛する思いがあります。
色々な問題が起こった時、心からその人を祝福して、愛するようになって欲しいです。
簡単ではありません。
聖霊に満たされないと、できません。
完全に主にゆだねていかないといけない。
それが信仰です。
『私はできませんが、あなたがしてください。
あなたにゆだねます。御霊によって、私を導いてください。』
と、祈り求める時に、イエス様がはたらいたくださいます。」
アーメン✨
メッセージ要約 M.N

