2019年10月13日主日礼拝
聖書
ヨハネの福音書第14章26節〜27節
ヨハネの福音書第16章33節
ピリピ人への手紙第4章6節〜7節
コロサイ人への手紙第3章15節
崔牧師メッセージ
「 皆さん、いつもどんな祈りをささげていますか?
いつも感謝と喜びと平安が満ちあふれていたらいいですが、
イエス様はどうして私たちに平安をくださったのでしょうか。
人は元々、平安になる力を持っていないんですよ。
物質的なものだから、体があるとお金や健康などの影響を受けて、平安になる力がないんです。
平安の反対は不安、心配です。
朝から晩まで、ひとつ心配があると、どんどん湧いてきます。
人間関係でも、お互いに攻め合い、悩みがある。
イエス様は天と地を造られた方です。
不足しているものがなく、すべてのものが満ちている方です。
その方が、救い主として私たちに来られました。
『しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、わたしがあなたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。」〈ヨハネ14:26〜27〉
イエス様は『シャローム』、平安です。
私は若い時、悩みや不安がたくさんあったんですが、
解決する方法がわかりませんでした。
それでお酒で紛らわせたりしながら、病気にもなりました。
力強く見える人にも、内側では悩みがあるものです。
それをイエス様に持っていく事が、私達の信仰のやり方です。
この世では、体がある以上苦難があります。
『これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」
〈ヨハネ16:33〉
『わたしにあって平安を得る』とは、
イエス様から平安がくるという意味です。
旧約聖書新約聖書には『平安』というみことばがたくさんあります。
それくらい聖書を通して、イエス様がくださるのは平安です。
今の時代、人々が求めているものは平安だと思いますよ。
しかし、平安が得られないのです。
『何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。』〈ピリピ4:6〜7〉
人々が思い煩うことがないのなら、こういうみことばは語らないですね。
私達の信仰で、イエス様がくださる一番のものは『平安』だと思いますよ。
父なる神が、イエス様を遣わしてくださり、その方を通して得た、一番のものは平安です。
私達には、色々なことがありますが、平安があります。
今は、イエス様の平安をいただいて、周りの人に、イエス様の平安を配っているんですよ。
何をするにも、全うするために一番大切なことは、心の平安です。
平安がないと、争いも起こるし、心が荒れます。
せっかくイエス様からいただいた平安を、
保てるようにするのが大事です。
人間は皆、どこか足りないところがあります。
だからイエス様がいらっしゃるんです。
イエス様なら全て満たしてくださる。
まず、イエス様を信じること。
大事なのは、イエス様がいるか、いないか、です。
『キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのために、あなたがたも召されて一つのからだとなったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。』〈コロサイ3:15〉
平和とは平安のことです。
『キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい』
つまり、平安の使者ということです。
平安を分け与える『平安の使者』。
主からつかわされた、私たちなんです。
皆さん、平安に満ちていますか?
イエス様の平安があるなら、自分だけにとどめたらもったいないですよ。
いただいた平安を隣人に分け与えましょう。
それが、私たちの働きです。
イエス様は平安を分け与えれば与えるほど、何倍もくださいます。
さらに多くの人たちに平安を配ることができるのです。
シャローム、ですよ。」
アーメン✨
メッセージ要約 M.N

