2019年9月1日主日礼拝
聖書
ヨハネによる福音書第14章12節
ヘブル人への手紙第13章8節
ローマ人への手紙第8章31〜39節
崔牧師メッセージ
『主のご計画は測り知れません。
信仰生活は自分の人生の歴史です。
ある方は、聖霊が臨まれてからは使徒行伝の29章からを自分で書いていくのが信仰生活だとおっしゃっいました。
全人類の罪の赦しは全ての人に恵みとして与えられています。
それが分かって、信じた者が救われる。
罪の赦しと救いは違います。
父なる神がイエスキリストを遣わして、全人類の全ての罪を背負わせて、神の御子を十字架で殺しました。
罪の赦しは恵みです。
救いとは、その事を知って、受け入れて、心で信じる事によって救いが起きるのです。
イエスキリストを必ず信じないと父なる神の恵みを受ける事ができない。
罪の赦しは全ての人に平等です。
しかし、救いは自分の意志でイエスキリストを信じて父なる神の恵みを受けるのです。
そして、救いは最後、御国に行く時まで全うしないといけません。
信仰を途中で捨てる人もいます。
最後まで信じる信仰を全うする事が大事です。
聖書の解釈は様々ありますが、
イエス様の教えから外れてはいけません。
教会から離れて行った方も、私達を非難する方々のことも、
あわれんで、赦して、愛していきましょう。
それがイエス様の教えです。
今、世の中では惑わしが多いです。
聖書から外れてないか、聖書で語られている教えを語っているか。
イエス様の前では、私達はみな罪人だということです。
主の赦しとあわれみがないと生きられません。
色々な教会と交わりながら、共に分かち合って、支え合うのです。
信仰は一人で、ひとつの教会でするものではありません。
イエス様は互いに愛し合うようおっしゃっています。
自分の霊魂も救えない福音なら、その福音は死んでいるのではないでしょうか。
『よくよくあなたがたに言っておく。わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう。そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。わたしが父のみもとに行くからである』〈ヨハネ14:12〉
私達の持っている福音は、自分の霊魂を正しく導いているのでしょうか。
そうでなければ、人の言葉で左右されるのです。
聖書は何を語っているのでしょうか。
『イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変わることがない。』
〈ヘブル13:8〉
今の私達の信仰が、2000年前のイエス様が来られた時の信仰と変わっていたらおかしいのです。
私達の信仰が、初めの愛から色が変わってきているのか、同じなのか。
2000年前も今も、教会の姿、信仰の姿が変わったらいけないのです。
イエス様の生き方になっていかないと、信仰がおかしくなるんです。
信じる者は、『同じわざをするであろう』とありますが、
癒しや追い出しだけでなく、同じ思いと心を持って、仕えるということです。
願い求めて、従っていく道は、イエス様の歩みです。
イエス様が行かれたところは、貧しい所、疎外された人々のところです。
キリストの教えはこういうものだと人に伝えられるよう、はっきりと自分の中に福音があるようになりましょう。
私達はイエス様によって罪が赦された者、いつでも罪を犯してしまう弱い者です。
私達の信仰は、知れば知るほど自分が足りない者だとわかってくるのです。
苦しい事はありますが、どんな時でも主は私達を離す事がありません。
父のみ旨はキリストによって成し遂げられました。
キリストのみ旨は聖霊によって成し遂げられました。
信じる人達も同じです。聖徒たちを通して、同じはたらき、同じわざをするのです。
イエス様がされたみわざは、同じ御霊がはたらいているから、
昨日も今日も変わることがない。
『私を信じる者は同じわざをするであろう』
自分の信仰がどこに立っているのでしょうか。
本当にキリストの姿持っているのでしょうか。
吟味して、共に歩んでいきましょう!」
アーメン✨
メッセージ要約 M.N

