「置かれた場所で」2019年8月24日

2019年8月24日主日礼拝




職分者によるメッセージ




井上執事メッセージ




聖書

コリント人への第二の手紙第4章16節〜18節


コリント人への第二の手紙第12章9節〜10節




「私は中学二年生の時にバプテスマを受け、




短大の時は聖歌隊の奉仕をしたりしていたのですが、



娘がミッションスクールを卒業すると信仰から離れてしまい、



その後20年間はイエス様とかかわることがありませんでした。



それから崔牧師とお仕事関係の方を通じて出会いました。




初めてお会いした時に、「こんばんは」と笑顔で握手して挨拶してくださったのを覚えています。




その時に、先生の手を通して、イエス様が私の手を触ってくださったのだと思います。




闇の中を20年間さまよっていた私を、イエス様はずっと見ていてくださったのです。



たくさんの罪を持った、死に至るしかなかった私を



天国に再び導いてくださったのです。




その場面を思い出すと、感動で涙が溢れます。




『罪の多い私を、なぜ見つけてくださったのであろう。』



私はずっと思っていたのですが、聖書勉強の時に、ちえ宣教師の導きを通してその答えを聞きました。



『主は罪人を探しておられた』



このような罪人を、主は探しておられるのです。





私は、今夏の修練会の後、気持ちの中で仕事と教会の奉仕のバランスが取れなくなっていました。




目に見えるものを追う自分もいて、段々苦しくなっていました。




『自分が行く道はこれでいいんでしょうか?』




と、お祈りしていました。




そして、牧師先生とお話しする時間をいただきました。




私は、仕事を通して、少しでも教会に献金したいと思っていました。



でも、迷いながらなので仕事も上手くいかず、苦しくなっていきました。




そんな私に先生は、




『それは後からついてきます。あなたは与えられた場所でイエス様をあらわす人になって欲しい。それがあなたの役目ですよ』



と言われ、目が覚めました。




とらわれていた思いから解放されていきました。




大切な仕事の仲間に、イエス様の愛を伝えて、




牧師先生と会える道を、教会に来る道を作りたい。




仕事の場でも、『あの人はキリストの人だ』




と言われるような自分になりたいです。




仕事も、主のために働こうとする時、主が共にいてくださると心から確信します。



自分の思い、自分の義が強いと主がはたらくことができません。



自分の力でなんとかしようとあがいてしまうと、



主がはたらく場所がないと、牧師先生からも言われました。




自分を無くすこと。




私達に力がなくても、何もないから主がはたらかれます。



それぞれ置かれた環境で、




家庭、職場、学校…そこでベストを尽くすのは当然ですが、



その中で主に委ねた自分ではたらいていく。




それができた時、主のご計画の中で力を得ます。



自分の置かれた環境でイエス様をあらわしていきたい。



周りにイエス様を伝えたいです。




イエス様に愛されている人たちが周りにたくさんいます。




これから、主と共に歩んで行きたいです。



色んな妨害もくるし、弱いから負ける時もあるけど、



主は共にいて、行く道を整えてくださいます。




この先に道がないんじゃないかと思う時でも、主はご存知です。




自分の力を捨てて、主に頼る時に助けてくださいます。



私達が祈り求めた時に、必ず応えてくださる。



共におられる主に感謝します。」



アーメン✨




メッセージ要約   M.N