2019年7月28日主日礼拝
聖書
ヨハネによる福音書第5章19節〜29節
ヨハネによる福音書第15章5節
崔牧師メッセージ
「目に見えない方を、目に見える形としてこの世につかわしてくださった、御子イエスキリストを通して、父がおられる事がわかります。
私たちの信仰は、イエスキリストが体を持って来られたという事を信じることが、
目に見えない父を受け入れることになるし、
その父が、イエスキリストの父であり、私たちの父であると、イエス様はおっしゃいました。
私たちの肉の父(実父)は、いつかはこの世を去ります。
でも、天地を創造され、アダムを造られ、父母を造った方がおられる事を、
イエス様が来られ、父を示してくださり、教えてくださいました。
そして、その方が天にのぼられました。
今、横に兄弟姉妹がおり、また家族がいる。
誰がイエス様を示す事ができるでしょうか。
イエス様を信じる私たちしかできません。
皆さんひとりひとりの身分がどれだけ大事でしょうか。
聖書で語っている事は、『私はあなたを愛した。この愛を持って、私と同じようにとなり人を愛しなさい』ということです。
目に見えないイエスキリストを敬うこと、子を敬うこと。
とても大事な事です。
信仰生活の中で、それをどのようにあらわせるか。
本当にイエス様を敬い、尊敬する人は、兄弟姉妹に対しても敬う思いが出てくるのです。
父なる神の御子としてイエス様がつかわされ、父からつかわされた事と、父の姿、御心を教えてくださいました。
子を敬う人が父も敬う。
『それは、すべての人が父を敬うと同様に、子を敬うためである。子を敬わない者は、子をつかわされた父をも敬わない。』〈ヨハネ5:23〉
イエスキリストを怖れ敬う人は、子をつかわされた父をも尊敬します。
イエス様を通して、父の愛がわかったじゃないですか?
そして、罪がゆるされ、愛されている事がわかれば、
その愛が中にあるはずです。
『わたしはふどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは、何一つできないからである』〈ヨハネ15:5〉
韓国の聖書では、『中にいる』と書いています。
とどまる、住む、という事です。
それくらいイエス様を尊重するから。
尊重していれば、その方の教えも尊重するし、イエス様のように生きていこうとします。
尊敬する、敬うことは、御心です。
枝がぶどうにつながっていないと枯れてしまいます。
私たちがイエス様の中に入っていく時に、教えも学ぼうとするし、生き方を知ろうとする。
それがクリスチャンの生き方です。
イエス様は互いに愛し合うことをずっと教えてくださいました。
私たちが互いに心から愛し合う時に、イエス様の愛が現れるのです。
兄弟姉妹を心から敬う思いがわいてこないと。
それができると、ノンクリスチャンにもできるし、その人のために何かしてあげたいと思うのです。
イエス様は父からつかわされて、本当に尊敬できる事をなさったでしょう?
私たちはそれに従って、教え通りにしているんです。
今は自分さえよければ、どうでもいいような時代です。
でも、私たちだけは支え合い、敬わないと。
救いは目には見えませんが、私たちを通して見えてくるんです。
子を敬う、尊敬する姿を見せた時に、イエス様が生きておられる事を現わせると思います。
だから、私たちが低くなって、愛を持って、自分の時間、エネルギーを使って人と関わっていく時に、
相手が必ず心を開いてくださる時がきます。
実がみのるというのは、イエス様の中にとどまった時に
イエス様の人格、品性、愛、命、あわれみが現れるのです。
人々は、その中に働いているイエスの光を見るから、
『あなたが信じているイエス様を信じてみよう』という思いがはたらくのです。
ひとりひとりの存在が大事です。
イエス様に選ばれて、どれだけ愛されているか。
イエス様の愛がわかる人は、イエス様の中にどんどん入っていく。
そうすれば、深いところにあるみ旨をくださいます。
思いを持って、周りと関わっていきましょう。」
アーメン✨
メッセージ要約 M.N
