2019年7月21日主日礼拝
聖書
マタイによる福音書第7章7節〜12節
ルカによる福音書第11章5節〜13節
ルカによる福音書第18章1節〜7節
ピリピ人への手紙第4章6節〜7節
ハバクク書第2章3節
〈職分者によるメッセージ〉
ヒョン宣教師メッセージ
「お祈りは、求めること、叩くことです。
「そして彼らに言われた、「あなたがたのうちのだれかに、友人があるとして、その人のところへ真夜中に行き、『友よ、パンを三つ貸してください。
友だちが旅先からわたしのところに着いたのですが、何も出すものがありませんから』と言った場合、 彼は内から、『面倒をかけないでくれ。もう戸は締めてしまったし、子供たちもわたしと一緒に床にはいっているので、いま起きて何もあげるわけにはいかない』と言うであろう。
しかし、よく聞きなさい、友人だからというのでは起きて与えないが、しきりに願うので、起き上がって必要なものを出してくれるであろう。 そこでわたしはあなたがたに言う。求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。」
ルカによる福音書 11:5-10
JA1955
https://www.bible.com/81/luk.11.5-10.ja1955
この人が友人だからというのではなく、“しきりに願う”ので、起き上がって必要なものを出してくれます。
私たちの信仰もどのように求めるか、お祈りするか、です。
叩いて、叩いて。答えがくるまで。
イエス様から答えがくるまで、ずっと叩き続けることです。
でも、私も30年間信仰生活を送りながら、途中で辞めた祈りもありました。
イエス様がしてくださることがわかっていながら、忍耐強く待つことができませんでした。忍耐が足りませんでした。
イエス様は必ず約束を成し遂げてくださる方です。
求めて、探して、門を叩く、そのようなお祈りが私たちの教会には今、必要です。
祈りに集中できない時が、私にもあります。
色んな思いに惑わされる。
好きな事は一時間でもできるのに、祈りは10分も集中できない時があります。
皆さんはどうでしょうか。
様々なことで、心配はするけれど、お祈りができない時がありませんか?
お祈りすれば聞いてくださるのに、できない時があります。
イエス様は良い方です。
『これをください』と願えば、豊かにくださる方です。
お祈りは最後まで。
答えがくるまで、祈りがきかれるまですることです。
イエス様は最後まで愛してくださる方です。
お祈りする時間、イエス様だけを見上げて、集中して祈る。
目に見える、耳に聞こえる事で妨害があり、集中できない、平安にならない時もたくさんあります。
しかし、時はイエス様が決めます。
自分が祈る時、『今』すぐに答えを求めますが、
決めるのはイエス様です。
お祈りは答えがくるまで、あきらめずに。
『何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈りと願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリストイエスにあって守るであろう。』〈ピリピ4:6〜7〉
もっと祈るべきです。
そうすれば神の平安があります。
平安がないなら、もっと祈るべきなのです。
答えが遅い事も訓練です。
忍耐強く祈り続ける事を、イエス様は願ってらっしゃいます。
でも、私たちは自分の思いで祈りをやめてしまう。
だから、イエス様は答えをくださらないんです。
『この幻はなお定められたときを待ち、終わりをさして急いでいる。それは偽りではない。もし、おそければ待っておれ。それは必ず臨む。滞りはしない。』〈ハバクク2:3〉
イエス様は心の中心を見ておられます。
心の中をどう持つかが大切だと思います。
時に色んな事が起きますが、お祈りは最後まで。
イエス様が答えを必ずくださる事を信じましょう。
家族の救いも、求めること、叩くことです。
イエス様の御前で。
それが祈りです。
やめたらいけません。」
アーメン

メッセージ要約 M.N
