2019年6月30日「信仰の薄い者よ」

2019年6月30日主日礼拝



聖書

マタイによる福音書第14章22節〜36節





崔牧師メッセージ


「皆さんの信仰は誰に判断されることがあるでしょうか。



皆さんの信仰を誰がわかるでしょうか。



イエス様は自分が決めた道を黙々と歩んでいかれました。



パウロもそうです。



信仰は自分にしかわからない。



皆さん、人から弱く見えているところも、主にあっては最高に用いられる力となります。



病の中で深く主の力を感じている方もいます。



病があるからこそ、深い時間を持っている。



病や問題の中で、主の中に入る人もいます。



『それからすぐ、イエスは群衆を解散させておられる間に、しいて弟子たちを舟に乗り込ませ、向こう岸へ先におやりになった。そして群衆を解散させてから、祈るためひそかに山へ登られた。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。』〈マタイ14:22〜23〉



イエス様は“しいて”弟子たちを先に舟に乗り込ませ、弟子たちは従いました。



イエス様は嵐が来るとご存知だったと思いますよ。



どうしてわかっていながら、嵐がくる大変なところに…また、その時間帯にわざわざ弟子たちを行かせたでしょうか。



共に祈る事もできたのに。



どうしてイエス様は私達をかん難苦難、病の中に追いやるのでしょうか?



主の御心がなんであるか、よく悟らないといけません。



その中で何を学ばせようとしているか。



イエス様がいらっしゃらないと生きられない、助からない、ということです。



ペテロも信仰があるのに、どうして『信仰の薄い者』と言われたのでしょうか。



従順したら、素晴らしい事だけが起きますか?



そうではありません。



従ったのに、大変な事が起きることもあります。



その嵐の中で、本当にイエス様を深く考える人は、



『おまえ達の力では生きられないよ。』



という主の御心がわかります。



私たちはすぐに自分の力でやろうとします。



又、『私がやった』と言います。



弟子達も海には慣れていたはずです。



イエス様はわざと嵐の中に出して、自分の力、義をなくして、主を頼れるようにしてくださるのです。



その時に不満を言いますか?



『なんで嵐の中にいるのですか。なんで病の中に、問題の中に追いやるのですか?』、と。



その中でもっとイエス様を知って欲しい、わかって欲しいです。



ペテロの立派な信仰があれば水の上を歩けますか?



疑って信仰が薄いから溺れたのでしょうか。



人が水の上を歩けますか?舟があるから、歩かなくてもよいじゃないですか。



イエス様はペテロが溺れることがわかっていて呼んだのです。



ペテロが自分の力で歩けると、『私は自分の信仰で水の上を歩けた』と思います。



『そうじゃないよ。あなたは私の助けがないと、生きられないよ』



と、教えられた場面だと思います。



私たちを見てください。イエス様に従っていながら、色々な問題が起きます。



子供の問題、お金の問題、病気…。



主はその中で、主を感じて欲しい。主をわかって欲しい、知って欲しいんです。



『私が共にいることを何で忘れるのですか』



だから、私たちにかん難苦難を与えるのだと、私は受け取っています。



どんな時でも主を感じる。



『私と離れてはいけませんよ』



かん難苦難、病の中で主を感じて欲しいです。



嵐の中で主に助けを求めて欲しいです。



人間には色々あります。でも、私たちは神の子。私たちは主のものです。



主がどれくらい共におられることを感じさせてくださるか、確認してください。




だから、ペテロや弟子達は愛されているのです。




主の深い愛を感じることができます。




どんな時でも主の御手を感じる。



そのような生涯、信仰になることをイエスの名によって祝福します。



困っている時こそ、主の恵みがはたらく、助けてくださる時です。



どんな時でも共にいて、はたらいて、導いてくださる方だと、信じてください。」



アーメン✨




メッセージ要約   M.N