2019年6月23日主日礼拝
聖書
イザヤ書第40章27節〜31節
イザヤ書第41章8節〜14節
崔牧師メッセージ
「信仰も時には負ける時もありますよね?
自分の力でしようとすれば。
負けたから、辞めますか?負けてもやるでしょう?
失敗があるから、成功もするんじゃないですか?
『弱った者には力を与え、勢いのない者には強さを増し加えられる。
年若い者も弱り、かつ疲れ、壮年の者も疲れはてて倒れる。しかし、主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。』〈イザヤ40:29〜31〉
『恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。
驚いてはならない、わたしはあなたの神である。
わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。』〈イザヤ41:10〉
問題は、どれだけイエス様に頼っているのか、という事です。
赤ちゃんのように。
お父さんお母さんが赤ちゃんのそばにいないと、死んでしまいますね。
自分の考えを捨てて、素直になる時、赤ちゃんのような信仰を持っていく事ができます。
天の父なる神は、ずっとそばにいて、私たちを助けたいのです。
信仰の上では、私たちは赤ちゃんです。
自分の力で何かしようとしても、失敗だらけです。
天の父の助けがないと生きられない。
それなのに、大人になったかのように、
『自分でできる』と思ってしまう。
天の父は私の耳、私の目、私の口にもおられ、
私の右の手、左の手…右足、左足にもおられます。
見えないけど、聞こえないけど。
何で見えませんか?
皆さん、手を見てください。
誰がこの手を造られましたか?イエス様ですね。
この手も耳も目も、イエス様によって造られました。
自分がかっこ悪くても、イエス様が共におられるんです。
甘えていいんです。自分の力でしようとすると、主はさびしいですよ。
主が共におられることを感謝しながら、共に歩んで行きましょう。
私たちがどうしようもない時、主は共にいて、力をくださった。癒してくださった。
悩み苦しんでいた時、主が共におられて、自分の力になった証しが皆さんそれぞれにあると思います。
信仰生活はイエス様が共におられる、インマヌエル…
イエス様を感じること、知ることです。
『私が共にいるから、勇気を出しなさい。恐れるな。』
と、聖書は語っています。
信仰生活において、怖くなる、不安になる時はありますね。
人間だから、病気や将来の事など、不安になる時もあります。
でも、その時にイエス様に頼っていく。
主は共におられて、『心を騒がせるな』とおっしゃっています。
私たちの信仰は、全てのことをできる方を信じているのです。
私たちのそばに主は共におられ、私たちの中でも力となってくださる。
私たちが自分の力でできなくても、ささえてくださる方です。
主が共におられることを信じて歩んで行きましょう。
思い通りにならない時も、主を頼っていく。
泣きながらでも、『主よ、助けてください』と頼っていくんです。
主は共にいて、手の中にも、皆さんの思い考えの中にも、主がおられる事を感じて欲しいです。
主を感じること。主は共におられます。」
アーメン✨
メッセージ要約 M.N

