2019年6月16日主日礼拝
聖書
ヘブル人への手紙第5章7節〜10節
ローマ人への手紙第5章1節〜5節
ローマ人への手紙第8章17節〜18節
ローマ人への手紙第12章1節〜21節
崔牧師メッセージ
「
今、信仰をこれからどういう形で歩めばいいでしょうか。
自分の思いで信仰するのではなく、信仰の導き手、完成してくださった方…
聖書でイエス様は信仰の歩みをどのように教えてくださっているでしょうか。
どのように信仰を歩みたいか、共に深く考えていきましょう。
人生は一回しかありません。
せっかく素晴らしい信仰をいただいているのに、
この歩みで良いのでしょうか。
命の道へ行こうとしている者として、福音のためにどんな形の信仰を持っているのか。
聖書には『私と福音のために』と、書いています。
『キリストは、その肉の生活の時には、激しい叫びと涙とをもって、ご自分を死から救う力のあるかたに、祈りと願いとをささげ、そして、その深い信仰のゆえに聞き入れられたのである。彼は御子であられたにもかかわらず、さまざまの苦しみによって従順を学び、そして、全き者とされたので、彼に従順であるすべての人に対して、永遠の救いの源となり』〈ヘブル5:7〜9〉
『御子であられたにもかかわらず』
イエス様は天地を造られ、すべてを治める方です。
でも、その方が父の御前で低くなり、体を持って来られた時から苦しみが始まりました。
何でもできる方ですが、父のみむねを成し遂げるためには、
激しい叫びと涙で祈り願いをささげました。
皆さん、信仰は私たちが無理やり信じたのですか?
そんなに苦しみの中で喜びがないなら、信仰などやらなくてもいい。
イエス様が歩まれた道自体が苦難、艱難、試練の道だと思います。
どうしてイエス様が私たちの救い主になるか。
信仰のモデルになるということですよ。
『永遠の救いの源』
イエス様に従順するすべての人々に対して、永遠の救いの源になるのです。
皆さんがどうして苦しみに身を投げて、苦難の道を歩もうとするのか。
『さまざまの苦しみによって従順を学び』
私たちがイエス様から学んだのは、こういう歩みではないでしょうか。
神の御子であるにもかかわらず、何の苦しみも受けなくてもよいのに自ら色々な苦しみを受けて、父に対しての従順を学んだのです。
私たちはイエス様に従おうとするすべての人々に対して、救いのモデルになっていますか?
私たちが願っているのは、自分を通してイエス様をあらわし、
周りの人がその信仰の姿を見てイエス様に近づくように導きたいと願っているのではないですか?
私たちを通して、小さな事でもイエス様をあらわせるようにと。
信仰の深みがわかっている人は、艱難苦難をイエス様のように喜んで受けます。
『そして、希望は失望に終わることはない』〈ローマ5:5〉
職場でも教会の中でも、家庭でも、人々がやりたがらない事を喜んでやってみてください。
そうしたら、イエス様が喜んでくださいます。
日本にそいうい人が増えると、さらに素晴らしい国に変わっていくでしょう。
イエス様が共におられる信仰。
主のために受けるなら、どんな苦難でも喜び、迫害を喜んで、周りからの誤解もになう。
『今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない』〈ローマ8:18〉
今、受けている苦しみも栄光になります。
こういう信仰を持って行く時、周りの人が、信仰の道いのちの道を共に歩んでいきたいと導かれます。
世に出て行って、色んな方と接しながら、イエス様の香りをただよわせる者であるよう、導いてください、と祈りましょう。」
アーメン✨
メッセージ要約 M.N

