2019年6月9日主日礼拝
聖書
マタイによる福音書第6章5節〜15節
崔牧師メッセージ
「主の御心はなんでしょうか?
何を私に求めてらっしゃるでしょうか?
そうい思いをイエス様がくださいました。
『あなたの生涯、あなたの生き方にそったものになりますように』
と、祈りました。
『教会の皆さんが、同じようにイエス様のいのちの道を歩み、同じ生き方で生きるように。
イエス様が生きておられる事を再現し、みむね御心を再現できるように』
という祈りを主にささげました。
イエス様のみむね、御心を求めた時に、“主の祈り”を教えてくださいました。
これこそが、御心だと思います。
イエス様を信じていない人と私たちが違うのは、祈りができる事です。
生きておられるイエス様に、天の父なる神様に、祈りができる。
この主の祈りにある、『ゆるす事』が主のみむねかなと思います。
たとえ会わなくても、祈りでその人をゆるせる、祝福できる。
これはクリスチャンである私たちに与えられた特権だと思います。
『わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください』〈マタイ6:12〉
私たちはこの祈りを、まるで呪文を唱えるように簡単にすませていないでしょうか。
イエス様は天の父なる神からつかわされて、父と永遠前から共におられた方です。
その父のみむねをよく知っておられるイエス様が、私たちに細かく丁寧に教えてくださったのがこの“主の祈り”です。
イエス様が何を求めていらっしゃるか。
『負債のある者をゆるし〜、あやまちをゆるし〜』
『ゆるす事』がとても大事なのです。
私も信仰を持ちながら、心が重くなる時があります。
なんでゆだねられる方、信じる方が共におられるのに、心が重たいんでしょうか。
イエス様はこの主の祈りを通して、人をゆるす事を教えてくださいました。
私たちがもっと心が軽く、心が平安になる事を願っているから、この祈りを教えてくださったんです。
イエス様の姿に似るように、生涯を再現できるようにと、私を通して、また教会を通してそのことがおきるようにと祈っています。
主のみむねを深く考えた時に、もどるべきところは、『ゆるす』という事にたどり着きます。
人の過ちや小さな事で気に入らないことがあると、裁いてしまうところが、私にはあります。
でも、イエス様がくださる思いは柔和で穏やかで、
全てを愛して、全てをゆるしてくださる方です。
ペテロにも7回の70倍ゆるしなさいと教えました。
この教えはとても大事です。
『ゆるす』という神のみむねを考えながら、自分の足りないところを思います。
相手を判断せず、ゆるしてあげる。
人間関係が一番難しいですね。
夫婦も親子も…。
私たちが霊的な妨害を解くには、心から相手をゆるし、弱点をになってあげるのが大事です。
自分がゆるす事により、自分の心が軽くなって穏やかになるのです。
イエス様は私たちの罪をすべてゆるしてくださいました。
それを私たちがちゃんと知って信じるか。
信じることがとても大事です。
自分に対しての主の御心…
私に求められていることは何か?
考えましょう。」
アーメン

メッセージ要約 M.N
