2019年5月19日主日礼拝
聖書
テサロニケ人への第一の手紙第5章12節〜24節
崔牧師メッセージ
「
私たちの戦いは血肉の戦いではなく、天の諸々の霊との戦いだ、と先週お話ししました。
戦いの中で悪魔が一番嫌うものは何だろうと考えました。
キリストの、神の武具になるものは何かと。
ひとつは喜ぶこと。
信仰生活の中で何があっても喜んでいるでしょうか。
『私が与える喜びはこの世の喜びとは違う』
とイエス様はおっしゃいました。
はっきりと聖別された、霊的な喜びです。
なくならない喜びをくださいました。
もし、私が悪魔だとしたら、何をしても喜んでいる人はイヤだと思いますよ。
もうひとつは、感謝すること。
何にでも感謝する人は悪魔も嫌だと思います。
『いつも喜んでいなさい。』〈1テサロニケ5:16〉
朝起きた瞬間に、すぐに喜びを感じていますか?
イヤな事は人には誰でもありますよね。
その中でも喜んでいますか?
イエス様が共におられるから、喜ぶはずです。
でも、妨害を受けてしまう。
信仰は簡単ですよ。
全てのことは、主とつながっています。
つながっていないものはありませんよ。
みそ汁一杯でも、イエス様が下さるから喜んで飲める。
喜びながらいただいているでしょうか。
先日はある姉妹とお話ししました。
『すべてのものを失っても、主がおられるなら、わたしにはすべてのものがある。だから、どんな時でも喜ぶ。』、と。
私の話しをちゃんと聞いてくれなくても喜ぶ。
自分の思い考えと違っても、喜ぶ。
歳をとって、体が動かなくなっても喜び感謝する。
喜ぶことはいくらでもありますよ。
問題は意識です。
喜びを満たしてくださる方はイエス様です。
その方との関係をきっちり持っているなら喜ぶはずです。
それなのに置かれた環境によって変わってしまう。
イエス様が共におられるのに、問題があるとすぐに忘れて、イエス様から離れてしまう。
イエス様は喜びをくださる方ですよ。
『イエス様がおられるんだったら充分です。
私の霊魂が喜んでいます』
そう告白するのが、私たちの信仰ではないでしょうか。
何をしても、イエス様の中で考える。
何をしてもイエス様の中ですべての事を思う。
イエス様の中で祈り、イエス様の中で動く。
イエス様から与えられないものはありませんよ。
その事をどう受け止めるのかが、信仰生活で大事です。
そうすると、悪魔も手を出す事ができない。
何をしても、喜び感謝する。
つまずいても、食事がまずくても、感謝するんです。
美味しくないものがあるから、美味しいものがわかるんですよ。
主はすべての事を通して、その中で信仰を守るようにしてくださるのです。
だから、悪魔は喜ぶ事と感謝する事を嫌がるんです。
主がおられるから、どんな場面でも感謝です。
何に対しても当たり前だと思って、感謝が足りてない。
すべてが感謝ですよ。
『すべてが感謝です。すべてが喜びです。イエス様がすべてです』
信仰生活はシンプルでわかりやすいと思いますよ。
生活の中で主が共におられる事、歩んでいる事を体験して欲しいです。
神は子供に喜んで欲しいんです。
イエス様は『とこしえまで私が共にいるから、喜びなさい』と、おっしゃっているのです。
私たちの力では勝てない。
霊的な服、霊的な肉、骨を整えることによって、みことばがはたらいて、イエス様が助けてくださいます。
常に主が共におられます。」
アーメン✨
メッセージ要約 M.N

