2019年4月7日「イエスの十字架」



2019年4月7日主日礼拝



聖書

コリント人への第一の手紙第1章18節






崔牧師メッセージ


「 私たちの中にあるイエス様の十字架はどういう意味があるでしょうか。


イエス様が背負ってくださっている十字架と、私たちが思っている、背負っている十字架はどういうものでしょうか。


イエス様がかかってくださった十字架は、人間の病気、悩み、罪、苦しみ、のろい、死…


そういうものから全て解放してくださいました。


イエス様の十字架は力です。



『十字架のことばは滅びゆく者には愚かであるが、救いにあずかるわたしたちには、神の力である。』〈第1コリント1:18〉



信じる者にはイエスキリストの十字架は神の力だと聖書にあります。


イエス様は十字架につけられて、死んで終わったのではなく、3日後によみがえられました。


だから、私達は復活されたイエス様を褒めたたえて、堂々と外に出て行って、


イエスキリストを伝えるのが私達の信仰です。


弱々しい姿で世の人と会うのではなく、


『あなた方のために十字架にかけられましたよ。その方は罪の無い方でしたが、死んでくださり、復活されました。』



と、大胆に伝えるのが復活の信仰です。



重たい十字架をイエス様が代わりにになってくださった。


私達はもう罪びとではなく、罪から救ってくださり、ゆるしてくださったその方、イエス様をほめたたえて、あがめて、讃美し、


のべ伝えるのが私達の信仰です。



私達が背負うべき十字架はどういうものでしょうか。



イエス様の十字架は、私達がどうしようもできないこの世の問題から、


全人類を救ってくださった素晴らしい力、歩みです。



だからこそ、私達はそこからすべて解放されないといけません。



ですが、イエス様がわざわざ十字架にかかってくださったのに、それが力になってないのです。



自分の中で力になってないなら、キリストはなんで代わりに死んでくださったのか。



私達ができないことをイエス様が全部背負ってくださって、力をくださいました。



なのに自分の病、苦しみを自分でかかえて行こうとする事は、



イエス様の十字架のあがないと何の関わりも無くなってしまいます。



私達のために十字架にかかってくださったから、



『復活されましたよ。喜んでください』



と、伝えていくのが救われた人達の十字架の意味です。


だから、信じている人達には、十字架は神の力ですよ。


それなのに自分で十字架を背負って、イエス様を信じる事がそんなに辛いですか?


自分の力でやろうとするならば、


世の中の方法でやればいい。



私は病気のために、ずっと薬漬けで生きてきました。


そして、こんな弱い私のためにイエス様が十字架につけられ、



それで私が癒され、解放されたと、キリストの十字架の意味がわかったのです。


キリストの十字架の意味。



それが信じる私達の神の力です。



世に出て行って、



『私は救われました。いやされました。イエス様は生きておられます!』


と、大胆に喜んで語るのが私達のするべき信仰のはたらきです。


『あなたの悩み苦しみはキリストが十字架にかかってくださって、ありませんからそれを信じてください』と、


伝えて教えるのが私達の歩みです。



相手の苦しみを自分で背負ってあげるなら、イエス様の十字架とかかわりがなくなります。



私達は解放された人、救われた人なんですよ。




ゆるされた、自分が救われた、解放された喜び。



だから、心から感謝をささげ、ほめたたえるのが私達の礼拝です。



私ができなかった事をイエス様が十字架にかかってくださり、自分の代わりにイエス様がしてくださったのです。


ただ私は信じればいい。


十字架のあがないにより、私達の罪は完全にゆるされました。


信じる者には力です。



もちろん、わかっていても『背負いたくない」



と、思う時もあります。人間ですから。



でも、イエス様がかかってくださった十字架を思うと、


これくらいでしんどい、苦しいと言えますか?



これくらいで重いと言えますか?



信仰が弱ると不平不満が波のように押し寄せます。



でも、目に見えない十字架の意味がはっきりわかる人は、



何をされようが相手のために祈ってあげることができる。



弱くなっても、イエス様は全部見ていらっしゃいます。



弱い人にはなぐさめをくださいます。



そして、悔い改めに導いてくださいます。



十字架の意味がわかる人は、さらに柔和になり、



周りから嫌な事を言われても動揺しません。



私達が大変な事も、辛いことも、イエス様は見ていらっしゃいます。


その方が、私たちの主であり、共におられます。



我が子が大変な時には必ず声をくださいます。



私たち『いのちの道キリスト教会』も、



これから北九州の多くの方々に十字架の意味、喜びを伝えていきましょう。」


アーメン✨



メッセージ要約   M.N