2019年3月31日「神のかたち」

2019年3月31日主日礼拝



聖書

コロサイ人への手紙第1章9節〜29節





崔牧師メッセージ


「先週は新しいぶどう酒と新しい皮袋についてお話ししました。



古い皮袋は律法ですね。


律法を完成するために、父からつかわされて来られたイエス様が新しい皮袋です。


そして、その方が死んで復活され、天にのぼられた後、御霊によって信じる人たちの霊魂が新しい皮袋になっています。


イエス様のいのちが私たちの霊魂に入った時、私たちも新しい皮袋となって、


神の子として、全ての至るところにつかわされるのが私達の信仰の歩みじゃないかと思います。


祈りながら、『私が本当にイエス様の新しい皮袋になっているのかな。


この教会が新しい皮袋になっているのかな。この教会から新しいぶどう酒をどんどん出しているのかな』と、感じました。


もちろん新しい皮袋の中には、新しいぶどう酒をいっぱい入れないといけません。


そしたら、満ちあふれるでしょう?


イエス様のみことば、教え、み旨が新しいぶどう酒です。


祈りながら、『私達がイエス様の信仰をあらわしているのかな』と感じました。


『御子は、見えない神のかたちであって、すべての造られたものに先だって生まれた方である』〈コロサイ1:15〉


御子は神のかたち。


かたちとは姿という意味ですね。


イエス様は見えない父なる神のかたちとして、


この世に来られました。


人々は、イエス様を通して会ったことのない神に出会いました。


以前ユダヤ人達は律法として神に礼拝をささげてきました。


だけど、神を見たことがありませんでした。


イエスがキリストだ、という事がどれだけ大きな意味があるでしょうか。


キリストとは“油注がれた” “つかわされた”ということです。


つかわされた、という事は、つかわしてくださった方がいるという事です。


御子をつかわした父がいる、神がおられる。


イエス様が神の御子のいうことです。


救われた私達にとって、どれだけ大きな力でしょうか。


その方が神の姿です。


イエス様が父からつかわされたキリストであるように、


私達はイエスキリストを通してつかわされた神の子供です。


責任を感じます。


『私は神からつかわされたイエス様のように、イエス様からつかわされたクリスチャンとして神をあらわしているのか。世の中に光を放つその姿があるのか』、と。


この教会は『いのちの道キリスト教会』です。


ひとりひとりの霊魂を天国に導くのが教会です。


ひとりひとりに霊魂があり、神のいぶきがあるから、神の口から出る言葉によって、生かされるようになっています。


皆、救いを求めています。


救いはどこにあるか。私の霊魂はどこから来て、どこへ行くのか。


皆さん悩んでいる方が、北九州、日本でもたくさんいます。


何のためにこの教会があり、私達が選ばれているのか。


この教会の使命があります。


今、私達の教会を通してするべき事があります。


イエス様のみことばに従順する教会になっていきたい。


そして祝福されてほしい。


この教会に来られる方に、まず見えないイエス様の姿をあらわしていきたいです。


御霊によって、イエスの御名、みことばによって、


全世界に教会が建てられています。


私達の行いを通して、イエス様ご自身をあらわせるような信仰、使命を感じました。


この教会の中だけでの信仰ではなく、


外に出て行った時にもイエス様の香りとなり、


イエス様が喜んでくださる働きをしていく私たちであるように祈りました。


これから、この教会に注目してくださる方もたくさんいると思います。


明るい表情で関わっていく時、きっと教会を通して、


そして私達の信仰の姿を通して、イエス様の栄光が、イエス様の光が、現れるのではないでしょうか。



キリストの者だと使命を持って、喜びを持って、


さらに親切に、明るく柔和に、愛を持って周りと関わっていきましょう。」



アーメンキラキラ




メッセージ要約   M.N