2019年2月10日「小さい者に」

2019年2月10日主日礼拝



聖書

サムエル記上 15:1〜35

マタイによる福音書18:3〜4

マタイによる福音書20:25〜28

マタイによる福音書23:11〜12

ルカによる福音書9:46〜48

ヤコブの手紙4:6〜10

エペソ人への手紙4:13〜16

コリント人への第2の手紙12:5〜10

ピリピ人への手紙2:3〜11




崔牧師メッセージ


「サウル王は、主から『すべてのものを滅ぼしつくせ』と言われたのに、


アガク王を生かし、良いものを選んで残しました。


神のことばに従わず、すべての良いものを残し、ただ値打ちのない、つまらない物を滅ぼし尽くしました。


『サムエルは言った、「たとい、自分では小さいと思っても、あなたはイスラエルの諸部族の長ではありませんか。主はあなたに油を注いでイスラエルの王とされた』〈サムエル記上15:7〉


ヘブライ語の原語の聖書の訳と、日本語の訳では少し意味が違います。


原語では


『自分では、自らを小さい者、低い者だと思っておられたその時に、イスラエルの王になった(選ばれた)のではないですか』


という意味です。


とるに足らない者だと思っていたのに、いつの間にか神の言葉も簡単に破る者になっていた。


自分が大きくなり、簡単に神の言葉も軽んじるようになっていたのです。


これでは、神によって選ばれた役割を果たす事ができません。


皆さんは、人が選んだ人ではありません。


聖書では、『天地が造られる前から、父によって選ばれた』と書いてあります。


私たちは、イエス様を最初信じて、恵みだとわかった時、とるに足らない小さい者でした。


だから、涙をもって『私を助けてください、あわれんでください。』と、


祈った時がそれぞれあったと思います。


サウル王も最初は自分を小さい者だと思っていましたが、


王になって、時間が経過すると、いつの間にか自分が大きくなっていたのです。


サムエルは二度とサウルを見ることはありませんでしたし、


神もサウルを王としたことを悔いました。


信仰は生涯一度だけです。


自分という人間は、人間として、一度しか生まれません。


そして、私たちイエスキリストを信じる者は、


神の御国に入るようになっています。


霊魂は、裁きを受け必ず天国か地獄に行かないといけません。


しかし、イエスキリストを信じる人はさばかれない。


信じていない人は、イエスの御名を信じないから、すでにさばかれています。


この信仰生活の中で、どのような信仰のあり方で歩んでいきたいでしょうか。


人の前でえらくなりたいですか?


『弟子たちの間に、彼らのうちでだれが一番偉いだろうかということで、議論が始まった。
イエスは彼らの心の思いを見抜き、ひとりの幼な子を取り上げて自分のそばに立たせ、彼らに言われた。「だれでも、この幼な子をわたしの名のゆえに受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。そして、わたしを受け入れる者は、わたしをおつかわしになったかたを受け入れるのである。あなた方みんなの中でいちばん小さい者こそ、大きいのである。』〈ルカ9:46〜48〉


どうしたら、小さい者になれるでしょうか。


イエス様ははっきりおっしゃいます。


謙遜な者には恵みをくださり、高ぶるものは神に敵対すると。


これからの信仰生活で何が大事でしょうか。


自分がどれだけ低くなれるか、です。


そうすれば、イエス様は大きく用いてくださいます。


これは、神の奥義です。


『わたしが一番あなたの御前で小さい者です。


教会の中、弟子の中でも、一番小さい者です』



と、言う時に、そう言う人を高くしてくださるのです。


皆さんは、えらくなりたいと思っている人は、そんなにいないと思いますが、


教会の中で、用いられたい、愛されたいという思いが、ない訳ではないでしょう?


そのような人こそ、自分を小さく、低くして、


イエス様がそのような人、そのような教会にたくさん恵みをくださって、


大きく用いてくださるようになるべきだと思ったんです。


自分が大きくなると、聖霊がはたらきにくいです。


自分を捨て、小さくなると、聖霊が豊かにはたらいてくださいます。



これから、この教会はどの教会よりも小さく、心の貧しい、憐れみ深い教会であり、


世界で一番恵みを受け取る教会に、また自分になるようにしましょう。


私たちは救われました。


天の御国に行った時に、イエス様からほめられるためには、


用いられて欲しい。


用いてくださる方は聖霊です。


はたらいてくださる様になるため、また用いやすい人になるためには、へりくだるのです。


イエス様が望んでいる姿は、小さい者になることです。


サウル王は神に捨てられましたが、


そのことを通して、どれだけ信仰生活の中で自分を捨てて、低くすることが大事かとわかりました。


この教会が、そのような教会になって行く時、


主が喜んではたらいてくださり、


助けて用いてくださる教会になると、信じています。


また、そういう教会になっていく時、日本の教会、世界の教会、そしてとなり人を愛して、相手からも愛される教会となります!」



アーメン✨




メッセージ要約   M.N