2019年1月6日
今年はじめての主日礼拝。
聖書
ペテロの第一の手紙第2章9節〜10節
ヨハネによる福音書第1章12節
ヨハネによる福音書第3章16節〜17節
ローマ人への手紙第8章14節〜17節
崔牧師メッセージ
「皆さんが今、この場所にいるという事は
皆さんの中に、すでにイエス様という方が来られ、
イエス様による救い、イエス様によるゆるしがあり、
信仰があるからです。
それに応えて、この日、この朝、他の用事をやらないでここにいらっしゃるんですよ。
でも、イエス様を信じて平安なはずなのに、
『今日は行きたくないな』と、思った方もいるかもしれません。
『行かないといけないかな。』という
心の葛藤、騒ぎがあったかもしれません。
イエス様は2000年前にこの世に来られました。
イエス様が自分の中に来てなければ、その葛藤も心の騒ぎもありません。
イエス様がこの世に来られて、すぐに平安をくださったと思いますか?
来られた瞬間に喜びに満ちあふれ、葛藤などなかったでしょうか。
イエス様はおっしゃいました。
『地上に平和をもたらすために、わたしが来たと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むために来たのである。』〈マタイ10:34〉
この世の君に属されている時は、光が来る時に闇は騒ぐんですよ。
イエス様が自分に来た時、
『良かった!救い主だ!』と、すぐに受け入れ言ったでしょうか?
イエス様を拒む心が、最初なかったでしょうか。
元々、この世は闇です。
だから、反発、騒ぎがあるんです。
だからイエス様は平和ではなく、『つるぎを投げ込む』とおっしゃるのです。
そのつるぎが来て、葛藤と騒ぎがあって、その後イエス様が本当に自分の中で主となった時に、平安がくるのです。
内の暗いものは騒ぎます。
それはイエス様が自分の中にいるからです。
信仰があるからなんです。
その葛藤、騒ぎが終わると、後は悪魔のしわざは惑わすことしかできません。
イエス様はすでに世に勝っているから。
しかし、イエス様が来て二千匹の豚が海になだれ込み溺れ死んだ時、商売がだめになったので、騒ぎが起き、人々は『町から出て行ってください』と言ったんです。
騒いで、葛藤して、『イエス様、わたしの中から出て行ってください』という人になりたいですか?
何があっても、「イエス様が来て、救われました』と、喜んで従う人になりたくないですか。
皆さんは、どれだけイエス様から愛されているでしょうか。
今年一年はそれが、深く分かる一年になってほしいです。
イエスの御名を持って伝えても、『もういいです。家に入らないでください』と言われます。
まだ、イエス様がわからない、暗闇にいる人は、簡単に喜んでイエス様を受け入れません。
時には叩く人も、罵る人もいるかも知れませんが、関係ありません。
そうされれば、される程、かわいそうに思います。
なぜなら、私もそういう時があったから。
葛藤があったから。
信仰は受けた愛、ゆるし、救い、喜びがはっきりとわかるから、人に言えるんです。
今は、いくら闇が妨害しても、惑わしても、負けない。
イエス様が共におられるから、戦うんです。
それでも皆さんは、イエス様が
『世の終わりまであなた方と共にいる』
とおっしゃったんです。
どれだけイエス様に愛されているか。
自分の存在がどんなにすごいのか。
選ばれた民、神の子、愛された者。
それがわかるから、『イエス様はあなたを愛していますよ』と、涙を流しながら人に伝えるんです。
神の子供だという、権勢、力がとれだけ大きいものなのか、わかったらいいなと思います。
自分の存在価値がもっと分かるんだったら、欲しいものは何ひとつありません。
そうすれば、羨ましがる事も人と比べるとこともありません。
神の子のなったという実感、この喜びがどれだけ私たちの中ではたらいているか。
喜びが満ちあふれている人は、この世の中で
『主のために生きる、主のために死ぬ』
と、いう告白ができるんです。
イエス様は心の中をすべてご存知です。
信仰生活は悪魔がいる間は妨害を受けます。
だから、戦う。信仰があるから。
負けない。イエス様が必ず勝利をくださいます。
去年まで色々あったかも知れません。
でも、イエス様は最後まで私たちを導いてくださいます。
ひとり、ひとり、どれだけ愛されているか。
皆さんの存在は尊い。
価値があるのです。」
アーメン✨
メッセージ要約 M.N

