2018年12月16日「無きに等しいもの」

2018年12月16日主日礼拝



聖書

コリント人への第一の手紙第1章25節〜31節

コリント人への第一の手紙第1章18節

ヨハネによる福音書第14章8節〜11節

ヨハネによる福音書第17章21節〜23節



崔牧師メッセージ

「 なんでこんな私たちが主に選ばれたのでしょうか。


『十字架のことばは、滅び行く者には愚かであるが、救いにあずかるわたしたちには、神の力である。』〈第1コリント1:18〉


私たちは一瞬出会う人に、何を語るのでしょうか。


信仰は聞くことからです。


イエス様がその人を通して、何を語ろうとしているか。


よく耳をかたむけるのは大事です。


良く聞いてあげられる人は、時がきたら語らせてくださいます。


『十字架にかけられたイエス様は、あなたの罪のために死なれましたよ。あなたの罪は赦されましたよ。そのことを信じてください。イエスの御名を信じてください。』


と、伝えるのです。


イエス様によって選ばれた自分の身分を見てください。


呼んでくださった、主との関係。


その救われた恵み、選ばれた恵みが分かる人は、ずっとイエス様に感謝するし、


信仰が落ちる事がありません。


私は病気の時に主と出会いました。


皆さんもどうしようもない時に、イエス様と出会ったでしょう?


イエス様の愛と出会った人は、時間が経てば経つほど、もっとイエス様を深く知ろうとすると思いますよ。



私は先日、パスポートがない事に気付きました。


どこを探してもない。


『バカだな。愚かだな。』と悔い改めながら、


『主よ助けてください』


と、祈りました。


結局、空港に忘れていたのです。


紛失物として保管されていました。


パスポートを受け取りに行き、感謝の気持ちで、最高の贈り物であるイエス様の福音が書いてあるチラシを渡しました。


こんな者ですが、主が恵みをくださいました。


選ばれた私たちは、失敗もあって弱い者ですが、その弱さの中にでも、イエス様が全てを益としてくださるのです。


聖書のように、何ひとつ誇るものがない、こんな愚かな私にイエス様は恵みをくださいます。


神に愛される者は、全てを益としてくださるのです。


私たちが、選ばれた理由。


今、私たちが救われ、癒されて、赦されているのは、なんのためでしょうか。


こんな足りない者ですが、


福音を。イエスの御名と、イエスのあがないを人々に語るためではないでしょうか。


もちろんノンクリスチャンにイエスの十字架を伝えても、


すぐには受け入れてはくれません。


馬鹿にされるかも知れません。


教会なんて、問題だらけの、大変な人がイエスキリストを頼って行く所だと思われています。


でも、救われた私たちはどうでしょうか。


私たちはイエス様と出会って、救われました。


だから、私たちの一番の望みは、イエス様と共にいる事です。


イエス様が恵みです。


だから、何を言われても、馬鹿にされても、軽んじられても、


私たちの中に主が共におられるから何ともありません。


気にしない。


パウロはどんな苦難でも耐えました。


素晴らしい方と出会ったから。


私たちは、今本当に素晴らしい方と出会っているのです。


だから、何を言われてもいい。


叩かれようが、軽んじられようが、私の中にはたらくイエス様は、私たちにとって力です。


私たちは無きに等しい者です。


それを選んでくださった。


主ご自身があらわされるように、証しをされるように、


イエス様が、はたらいてくださいます。


福音がわかれば、それは力です。


信仰が弱い人は、『イエスキリスト』と、人に言うこともできません。


しかし、本当にイエス様に会って救われた人は、大胆に語るのです。


皆さんに、イエスキリストによって自分が変えられたという証しがあって欲しいです。


それが、確信です。


自分を証しするのではなく、


『こんな愚かな者を、主が救ってくださった』と。


救い主は、イエス様です。


イエス様が父におられ、父がイエス様の中におられ、私たちの中にイエス様がいらっしゃる。


聖霊が証ししてくださいます。


私たちと共にイエス様がいることが分からない人は色々言うかも知れませんが、


主が共にいて、ここまで導いて、助けてくださり、


こんな愚かな者でも、私の救い主になってくださった。


そして、癒してくださる方、力をくださる方だと言うことを私たちは知っているのです。」



アーメンキラキラ



メッセージ要約   M.N