2018年12月2日主日礼拝
聖書
ヨハネによる福音書第14章13節〜14節
崔牧師メッセージ
「どうして私たちは祈るんでしょうか?
イエス様はなぜ祈りなさいと言うんでしょうか。
『私の名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう。父が子によって栄光をお受けになるためである。』〈ヨハネ14:13〉
もし、全部自分でやるならば、祈る必要がありません。
でもイエス様は『わたしの名によって』祈り求めなさいとおっしゃいます。
『私がかなえてあげよう』と。
イエス様がかなえてくださるということは、
祈ると、イエス様がはたらいてくださるということ。
自分ではたらく事と、イエス様がはたらく事は、
天と地ほどの差があると思います。
祈っている人は、それがわかる。
祈らない人は、それがわからないのです。
先日、ある牧師より連絡があり、
『祈らないと、人や周りに目がいく。
祈ると、神様に目がいく』
と、言われていました。
祈ると、イエス様と共に霊的な歩みがあるし、はたらいてくださるのです。
イエス様にわざわざ祈らなくても、慣れれば仕事はこなせます。
でも、皆さん。
『私の力ではできない』
そういう事態に直面したことはありませんか。
祈りによって、イエス様がはたらいてくださったという経験をした人は、慣れている事でも、すべてイエス様にお願いするのです。
イエス様がはたらいてくださる時に証しとなる事がわかります。
私には3人の子供がいますが、
子育ては自分の思いでやろうとしても上手くいきません。
しかし、祈ったら導いたくださり、足りないところを教えてくださったのです。
ダビデ、ヨハネ、パウロ…イエス様さえ祈りました。
イエス様は祈るために山に行き、汗がしたたる程祈りました。
イエス様は神の御子ですが、肉体があるうちは制限があるから、祈ったのです。
これから、私たち教会の歩みは祈らないと主がはたらいてくれません。
祈ればイエス様が喜んでくださるし、はたらいてくださいます。
病がいやされたのも祈ったからですよ。
いろんな働きも、祈らないとできないし、祈ったから応えてくださったのです。
すべて祈りによらないと、できることはひとつもありません。
祈るとイエス様が喜んでくださり、平安になります。
祈ると、目には見えないが、霊的な世界がわかるし、見えないけど、天使が動きます。
祈っても、失敗はありますが、失敗も益としてくださるのです。
神の子たちは、祈りによってまもられています。
自分勝手に祈るのではなく、『イエスの名』によって祈ります。
『絶えず祈りなさい』と聖書にあります。
祈りを休むなということです。
今、私たちの教会は祈っているから、色々な教会とつながり、たくさんの方々がこの教会を覚えて、祈ってくださっているのです。
イエスの御名によって祈ることは、ひとつも地に落ちることがない、イエス様の約束です。
イエス様が保証してくださり、かなえてくださいます。
祈るとは、神との会話です。
どんな時でも、どこにいても、主は私たちと共にいます。
主は離れずに、皆さんと共にいるのです。
その方は、イエスの御名を呼び求めながら語ること、話しをすることを喜んでくださるし、
きっと思いをくださいます。
『なんでもかなえてあげよう』
これは約束です。
祈ってみてください。
損することはありません。
父なる神はだれも見たことがありません。
その父のふところにおられる御子だけが父を見ました。
だから、父は必ず神の御子イエスキリストによって栄光を受けます。
神の御名を持っている、神の御子を通して、父が栄光を受けるのです。
だから、神の御子を除いては、父が栄光を受けることはありません。
イエスの御名は、御子に与えた父の御名です。
その御名が私たちの中にあるということは、御子の命、御子の霊が私の中にあるということです。
御子を通してでしか、父に会えません。
祈りはイエス様がかなえてくださるし、喜んでくださる。
それが父に栄光をかえすことになります。
なんでも祈ってください。
私は掃除しながら、洗い物をしながら祈っています。
祈ることが嬉しいです。
なぜなら、祈ることによって、父が栄光を受けるから。
祈る人になりましょう。
どんな時でも絶えず祈りましょう。
イエス様から、『祈る人だ』と認められるように。
そして、みわざ、伴うしるしを見ましょう。
祈っている人は、霊的に敏感だし、裁かないし、伝道するし、奉仕が喜んでできる。
主が共におられることを、毎日、瞬間瞬間感じて欲しいです。
だから祈りましょう。」
アーメン✨
メッセージ要約 M.N

