2018年8月5日主日礼拝
聖書
ヨハネの黙示録第3章14節〜22節
マタイによる福音書第15章21節〜28節
崔牧師メッセージ
「今、私達の信仰はどうでしょうか。
もしかしたら生ぬるい、中途半端な信仰なのではないですか。
私は最近祈る時に原点を思い出し、ひざまずいて祈っています。
自分の信仰のあり方がどうだろうかと思います。
今はとても暑いですが、私は暑さ寒さも、イエス様がくださったものだから、楽しんでいるんですよ。
このヨハネの黙示録のみことばにあるラオデキヤの地方は豊かなところでした。
でも、飲み水にとても困っていました。
16km離れたコロサイから、冷たい飲用水を水路を引いて運んでいました。
また、9km離れたヒエルゴリからは熱いお湯が運ばれていました。
でも離れているから、運ぶうちに冷たい水も熱いお湯も生ぬるくなる。
水は冷たい水、お湯は熱いお湯が美味しいじゃないですか。
だからイエス様が信仰の例えとしてお水のことを話されたのです。
私も最近、自分の信仰が熱いのだろうか、冷たいのだろうかと思います。
イエス様のラオデキヤの教会への警告のことばを見ながら、マタイによる福音書に出てくる、カナンの母のみことばが思い出されました。
『主よ、ダビデの子よ、私をあわれんでください。
娘が悪霊にとりつかれて苦しんでいます。』と言って叫びつづけた。
『主よ、お言葉どおりです。でも、子犬もその主人の食卓から落ちるパンくずは、いただきます。』
この母は娘が悪霊にとりつかれて大変な時に、必死に求めました。
生ぬるく求めましたか?
私たちは『私は大丈夫、もうあまり不足もないし、祈ることもない。』も思ってしまっていませんか?
カナンの母は必死に叫びながら求めたのです。
暑い時ではありますが、私たちも自分の霊魂のために、このカナンの母のように、必死に求めることが必要です。
信仰も長くなると、生ぬるくなることがあるのではないでしょうか。
先日の金曜夜の礼拝の時に、主より『もっと主の僕になりなさい。低くなり、自分を捨てなさい』という思いをいただきました。
たとえ人から嫌な言葉をかけられても、苛立つ事なく、恵みをたくさん受けた初めの愛の時のように。
もっとひれ伏して、もっと謙遜に主に仕えていきたいと祈りました。
イエス様は、このカナンの女の信仰もどのような思いかもご存知でした。
弟子たちも見ていました。
イエス様が
『子犬の時に投げてやるのは、よろしくない。』
と言っても、この母は熱くイエス様に求めました。
今の時代、日本も韓国も不自由はなく、
食べるものにも困りません。、
でも、体も楽すると弱くなります。
イエス様は生ぬるい水は飲まないで吐き出すと言われました。
聖書には神に近づきなさい、求めなさい。近づく人に神も近づくと書いてあります。
体も心も精神も、生ぬるいと弱くなります。
信仰もこの暑さにも負けないで、戦って強く祈り求める夏にしましょう。
生ぬるい水は美味しくない。
冷たい水、熱いお湯。
“美味しい”と言われる信仰生活をしていきましょう!」
アーメン‼︎
メッセージ要約 M.N

