2018年6月17日「真の弟子」

2018年6月17日主日礼拝



聖書

ヨハネによる福音書第8章31節〜32節


「 イエスは自分を信じたユダヤ人たちに言われた、『もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである。また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう』」





崔牧師メッセージ


「  信仰による自由とは、なんでしょうか。


『こうやるべきだ』とか『こうしないといけない』というのはありません。


皆さんイエス様を信じました。


信じるとは何でしょうか。


知らないと信じることはできませんね。


だれか知らせてくださった方がいます。


でも、知らせてくださっても、信じない人もいます。


ユダヤ人の中にも信じていない人もいました。


“自分を信じたユダヤ人”とみことばにあります。


私達は信じているから、イエス様のみことばを聞こうとするし、語っています。


『もし、私の言葉のうちにとどまっておるなら』


とどまっている状態が持続しているという事です。


とどまっているなら『真理を知る』


知るという意味は何でしょうか。


私達にとってとても大切なことです。


皆さん一句一句イエス様のことばのうちにとどまるのです。


“うちに”ということは“外”もあります。


イエス様と関わっている、でも関係が遠い。


イエス様の中に入ろうとしない人もいるのです。


表面的にイエス様と関わろうとしたら、その程度しかイエス様を知らないのです。


海も外から眺める海と、中に潜ってみる海とでは、景色が違います。


人も深く入って行くときに深く知ることができるのです。


“うち”に入っても、すぐ出てくる人もいます。


そういう信仰の人もいるのです。


イエス様をあまり知らずに、誤解して悪口を言う人もいます。


みことばに従順してイエス様と共に生きる時にイエス様のうちにとどまる真の弟子となりますが、


真の弟子ではない人もいるのです。


私たちはどのようなクリスチャンになりたいですか。


食べ物も味見だけで判断するのではなく、何回も食べてみて美味しく食べる方法がわかります。


イエス様について行く人も、色んな人がいるのです。


『私は適当な弟子でかまいません』


という人はいますか?


皆さん、せっかく信じて従っていくならば、真の弟子になりたくないですか?


何年経っても同じなら、自分自身が嫌じゃないですか?


この31節のみことばの意味はとても深いです。


ひとつのみことばにでも従順するなら、そのようにしようとする時に、みことばが命令となり、命となるのです。


私は皆さんがせっかくなるなら、本当の弟子になってほしい。


そのために、ひとつひとつのみことばに入ってほしいのです。


『真理を知る』


これは自分が経験しないとわかりません。


真理はイエス様の語った父のことばです。


みことばを知って、経験して、体験して従順していく時、真理から守られます。


苦しくて、重たい時に、イエス様が


『私の元に来なさい。』


と、癒してくださるのです。


私も病が癒されました。その経験があるから、はっきりと人に伝えることができます。


ひとつひとつ体験していく時に本当の感謝、本当の解放、本当の自由をくださるのです。


イエス様は私達に最高のものをくださるお方です。


最高の喜びをくださり、本当の平安をくださる。


今日も私達に最高のものをくださるのです。


本当にイエス様に近づき求める時、与えられます。


主は必ずくださいます。


親は一番良いものを与えてくださるのです。


このみことばは大切です。


みことばが自分の中で成就されるよう祈るのです。


求めれば必ず与えてくださいます。」



アーメン✨



メッセージ要約 M.N