2018年6月3日「イエス様の手足となって」

2018年6月3日主日礼拝



聖書

ヨハネによる福音書第14章12節

「よくよくあなたがたに言っておく。わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう。そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。わたしが父のみもとに行くからである。」




崔牧師メッセージ


「イエス様が『よくよくあなたがたに言っておく』とおっしゃっています。


いわば遺言の様なものです。


イエス様のことばは真理です。


イエス様はご自分が行かれる道をご存知だったのです。


イエス様の深い教えと愛があるのです。


『わたしのしているわざ』


わたしはこの手が癒しの手となることを祈っていますが、


イエス様の手足とはなんでしょうか。


イエス様はご自分の思い考えがあるところに、手がいくし、足が向かいます。


イエス様が思っている思い考えが自分と離れてしまっていないでしょうか。


本当に恵みを受けて、イエス様の愛がわかった時には、感謝してイエス様の愛を自分も示す人になりたいと祈り求めたのに。



高ぶる人、自分の義がある人、自分は罪がない正しいと思っている人…。


そういう人にはイエス様の心と思いもいかないし、手足もいかないです。


『自分は罪人です。』と、神の救いが必要なところにイエス様の手と足がいっているのです。


ベタニアにはらい病の人がたくさんいましたが、そこにもイエス様は行っています。


人からは受け入れられないところへ足を向けているのです。


『心の貧しい者は幸いである。天国は彼らのものである』〈マタイ5:3〉


イエス様が喜んでくださる人はどういう人でしょうか。


イエス様の手は癒しの手であり、癒しの力と恵みの宝です。


でも、私たちの手と足はどこに向かっているのでしょうか。


お金を稼ぐためでしょうか。


福音のためでしょうか。


私たちが変わらないといけません。


自分の意志と信仰によって、自分の手足をイエス様の手と足に合わせるのです。


信仰の行動が必要です。


足りなくても、主の心のとなり、考えとなり、自分の手と足でイエス様の手と足が向かうところに行きたい。


『わたしがしているわざをするであろう』


私たちは信じて救われました。


これから、何をするべきでしょうか。


イエス様と同じわざをするように祈り求めるべきです。


自分を通して、ひとりの魂でも救われたら嬉しいじゃないですか。


自ら手と足を出して、イエス様に向かっていく。


それが従順することです。


手と足が自分のものだと思っていますか。


主のために、この霊、肉、魂を捧げて用いられているのでしょうか。


手と足を主のために捧げて、働きましょう。


悪霊を追い出すとか、病を癒すとかの大きいわざでなくてもいいのです。


ある姉妹は、『今までできなかったけど、義父にやっと手を置いて祈る事ができました。』


と、正直におっしゃっていました。


そういうことでも良いのです。


わたし達の手は癒しの手であり、足は福音のためのうるわしい足です。


『この手足をどのように用いたらよいですか?』


と、手を足を捧げていきましょう。


主に従順して、嬉しい豊かな一週間となるように、イエス様のお名前によって祝福いたします。」



アーメン✨


メッセージ要約 M.N