2018年5月13日主日礼拝
聖書
ヨハネによる福音書第20章19節〜31節
使徒行伝第10章38節
ヨハネによる福音書第16章8節〜11節
崔牧師メッセージ
「
ヨハネによる福音書20:31節には
『しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである。』
と、あります。
父なる神の子、ということは父がおられるということです。
“神の子”というのはこの方が、父なる神から遣わされてきたキリスト、メシヤだ、救い主だと信じるためです。
信じて救われて、私達にそのことを知らせて教えるために聖書があります。
世界中の教会はそれを信じています。
聖書には、イエスを信じて、御名によって命を得ると書いています。これは神のみ旨です。
弟子ヨハネはよく覚えていて、書き記しました。
イエス様は
『安かれ』
『聖霊を受けよ』
と、おっしゃいました。
『私が父から遣わされたように、私もあなた方を遣わそう』
私達は聖霊を受ける前と受けた後では何が変わりましたか。
同じところに住んでいるのに、何か変わったところがあるでしょうか。
今まで、イエス様が神から遣わされたと知らなかった。
聖霊によって、イエス様に遣わされて私達は今ここにいるとわかります。
イエス様の弟子たちは3年半の公生涯をずっとイエス様と共に過ごしましたが、聖霊によって生まれ変わりました。
私達の信仰は聖霊によるのです。
巡回しながら癒したりする命の働きは、聖霊によるのです。
だから、聖霊を受けることがどんなに大事なことでしょうか。
聖霊を受ける時に、義、罪、裁き…全てを教えてくださり、
自分がイエス様に遣わされたとわかるのです。
聖書での罪は、イエス様を信じないことです。
『イエス様の御名が父の御名である』と聖霊様が教えてくださる。
私が留学生の時に、マラソン大会がありました。
私は、その時優勝して表彰される時に堂々とイエス様を証ししようと思い、何ヶ月も前から練習して準備しました。
そして本番の日、スタートして、先頭を走っていました。
ふと、すぐ後ろに、知的障害が少しあり、みんなから馬鹿にされている同級生が走っている事に気がつきました。
でも私は優勝しないといけないので、早く走ろうとしたその瞬間に、頭をつかまれたような感覚があり、
「その子と最後まで一緒に走ってあげなさい」
という御声を聞いたのです。
その子はどんどん遅れて、しまいにはみんなゴールして私達2人だけが残り、最後になってしまいました。
でも、その時のイエス様のみ旨は、
優勝するよりも、ひとりの霊魂をいたわり、寄り添うことだったのです。
私の思いと、聖霊さまの導きは違ったのです。
従順したその時、私は涙があふれました。
聖霊様の導きは色々あります。
私も留学生の時から、24時間全てが聖霊様に導かれた歩みでした。
人間の思いとは全く違います。
聖霊に導かれる信仰生活はとても大切なのです。」
アーメン✨
メッセージ要約 M.N


