2018年4月22日主日礼拝
聖書
マタイによる福音書第11章28節〜30節
「すべて重荷を負うて苦労しているものは、私のもとに来なさい。あなた方を休ませてあげよう。私は柔和で心のへりくだったものであるから、私のくびきを負うてわたしに学びなさい。そうすれば、あなた方の魂に休みが与えられるであろう。私のくびきは負いやすく、私の荷は軽いからである。」
I宣教師メッセージ
「このみことばは私が本当に好きで、
生きる力と勇気を与えてくれたみことばです。
私達ひとりひとりは環境も生き方も違うそれぞれの人生を歩んできました。
イエス様に会うまでは、重荷や苦しみを自分ひとりで背負って生きてきました。
でも、イエス様と出会って、良い方向に導いてくださるのはイエス様と知りました。
自分ひとりの力では、病やお金の問題、人との関係など様々な戦いを解決できません。
それは、信仰があっても必ず問題が起きます。
『くびき』とは何かわかりますか?
私は小さい頃、家に田畑があり、牛を飼っていました。
畑を耕すために、動力として牛を使うのです。
その時、肩から木の枠をかけて農機具につけて牛を耕す。それが『くびき』です。
このみことばを最初読んで、私が自分のくびきを負ってイエス様の元に行くのだと思ったのですが、
何度も読んでいるうちに、イエス様の元に行けば、イエス様が私達にくびきをかけてくださり、
共に苦しみを背負ってくださり、助けてくださる。
ひとつになって、共に耕して行く時に力をくださり、重荷を分かち合いながら解決していくんだとわかりました。
そうする時にすべての事が喜びに変わります。
イエス様を知って信じて歩む道は、イエス様がくびきをかけてくださって、共に歩きながら解決していくんだとわかったのです。
そうすると、自分の重荷が軽くなって、新しい道を歩んでいけるし、解決した時にはまことの平安をくださいます。
イエス様が復活して、私達にあらわれたのは、まことの平安をくださるためだと思います。
みことばを通して、悩み、苦しみがあっても、最後に勝利したらイエス様の平安で満たされた、霊、肉、魂となる体験をしました。
今も、たとえ問題があっても、イエス様が共にいて、何があっても頼り歩んで行けば、
かん難苦難を軽くしてくださる。
神の平安をあらわしてくださる。
イエス様がくださる喜びと平安はどんな代価を払っても買えない、イエス様の祝福です。
言葉では、言い表せない人生に最高の力をくださいます。
イエス様の救いは人間では考えられない救いをくださるのです。
そして、イエス様はどんな人にも救いのチャンスをくださいます。
私達の友人、家族、親戚にも必ずイエス様と出会うチャンスをくださるはずです。
だから、まずそのチャンスを信仰がある私達が作っていきましょう。
滅びない様に、イエス様の御名を持って、愛を持って、いのちの道の架け橋として、用いられたいし、
まことの弟子として用いられたい。認められたい。
たとえ、体が痛くても、苦しくても、イエス様のためにすべてを捧げたいです。
イエス様が喜ばれる、まことの弟子として。
私達はイエス様の復活の命につながっています。
それが、どんなに感謝なことでしょうか。
私達を罪と死の法則から解放してくださった。これは、最高の喜びです。
私達が得たこの喜びを伝えてあげたい。
イエス様がくださったまことの自由を伝えていきたい。
他には何もいりません。残りの人生を捧げていきたいのです。
私達の教会も、イエス様の御霊でひとつになってきました。
ひとりでは何もできませんが、愛する兄弟姉妹と共に、助け合いながら自分のできる事に感謝して、歩んで行きたいと思っています。
そして、この輪の中にひとりでも多くの人を招き入れ、まことのイエス様の自由、喜び、感謝を伝え、
イエス様を褒め称え、讃美する信仰生活を送っていきたいです。」
アーメン✨

