2018年4月1日主日礼拝
聖書
ヨハネによる福音書11:25
ヨハネによる福音書6:52〜59
コリント人への第1の手紙11:23〜29
ヨハネによる福音書20:21〜22
マタイによる福音書28:19〜20
使徒行伝1:8
崔牧師メッセージ
「イエスの復活が自分とどういうかかわりがあるか、
それがよくわからないと、信仰が違う方向に行ってしまいます。
『なんで什一献金をしないといけないのか』
『○○をやらないといけない』
となってしまう。
そうすると、かろうじて救われる程度になり、自分で精一杯で、人の救いなど考えられなくなるのです。
よく分かると、喜んで人にイエスの救いを伝えたくなります。
もちろん失敗もありますが、自分の信仰はどの方向に行っているでしょうか。
世界には、アメリカ、ソウル、日本でも東京、大阪、素晴らしい教会がたくさんありますが、
この北九州の八幡東区の小さな教会に私たちはひとりひとり選ばれました。
皆さん、家庭や周りではご自分の信仰を認められてもらってないかもしれません。
家族に無視されているかも知れませんが、誰が私達を認めてくださったでしょうか。
イエス様です。
イエス様が認めてくださった事により、ただそれだけで人からの罵り、憎しみ、そしりは気にならなくなり、
逆に今は相手をあわれむようになりました。
それは復活されたイエス様の力です。
御座におられるイエス様が認めてくださり
その方の御霊によって御名を通して同じ働きをするのは、イエス様の復活があるからです。
そして、信仰者として立っているのは、イエスの御名があるからです。
周りに信仰者がいなくても、讃美して祈れるのは聖霊様が共におられるからであり、イエス様の力です。
聖書には、『自分の中に信仰があるかどうか試しなさい』
とあります。
かん難苦難がある時、信仰が試され、自分の信仰がわかる。これも、復活されたイエス様の力です。
主はどんな時でも守ってくださり、主が喜ばれる道に導いてくださる。
『わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。』
〈ヨハネによる福音書11:25〉
ここで祈り、讃美し、礼拝できるのはイエス様の復活があったからです。
聖霊によってくださった命が、自分の中にあるからです。
父から遣わされ、父のみ旨をあらわすためにこられたイエス様は、血と肉を与えるために体をもって来られました。
十字架にかかる前に前もって、自分の血を飲み、肉を食べるように言いました。
今は、パンとはみことばによって生き、
血を飲むとは、血で清くなって罪が赦されるよう、
との意味があるのです。
だから、集まる時に聖餐式をするのです。
周りには、イエスが死んだ事がわかるが、復活された事を知る人は少ないです。
復活したイエス様を直接見た人は少ないから聖霊のはたらきがなかったら見た人だけのことで終わってしまった。
イエス様は復活した後に何をお命じになったでしょうか。
『聖霊を受けよ。あなたがたがゆるす罪は、誰の罪でもゆるされ、あなたがたがゆるさずにおく罪は、そのまま残るであろう。』〈ヨハネ20:22〉
『あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊の名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいるのである。』〈マタイ28:19〜20〉
バプテスマを施し、命じられたことを守るようにとあります。
その後天に昇られました。
讃美し、礼拝するのは、天に昇られた復活のしるし、聖霊による信仰が私達の中にあるからです。
献身するのは、自分の力ではなく、イエスが御座におられ、その御霊が私たちの中にいらっしゃるからです。
だから恐れる必要がないのです。
私も直すべきところがたくさんあります。
でも、イエス様がしてくださったからやってこれました。
皆さんも同じです。
それぞれのはたらきをして欲しい。
聖霊様に従っていきましょう。
イエス様の復活が自分の復活になっているでしょうか。
これからは聖霊を受けた私達が力を受けて、地の果てまで証人となると聖書にあります。
皆さんひとりひとりは素晴らしいです。
聖霊によって導かれたら、すごい事なのです。
失敗はありますが、恐れずに歩んでいきましょう。」
メッセージ要約 M.N

