2018年3月25日「聖霊の宮」

2018年3月25日主日礼拝



聖書


コリント人への第1の手紙 第6章15節〜20節

ローマ人への手紙第8章13節

ガラテヤ人への手紙第5章16節〜17節

ローマ人への手紙第12章1節

ヘブル人への手紙第10章25節




今週はヒョン宣教師がメッセージを語りました。



ヒョン宣教師メッセージ


「 私達は体がとても大事です。


体があるからこの場に来て礼拝を捧げています。


私達の体は聖霊の宮です。


今日はお天気も良いのに、外に遊びに行かずに選びとってこの場に来ましたね。


体があるからこそ霊魂もあります。


体という器の中に見えない霊魂があるのです。


イエス様は体を清くするように言われました。


金や銀や、土の器ではなく、清い器になるようにと。


清い器にならないと、中に入れるものも清くならないのです。


だから体が大事です。


体はイエス様が代価を払って買い取られたものです。


自分のものではなく、聖霊の宮なのです。


この器をどうするか、とても大切です。


この世にはいろんな誘惑があります。


満たされている時は皆さんとの集まりにも行きたいのですが、満たされていないと、体がきついなとか感じてしまう。


体をどう動かすかによって、霊魂もどうなるでしょうか。


体がきつくても、霊的な場所に行くことで霊魂は満たされます。


聖霊様の声に聞き従って、自分の肉の欲に従わないと満たされるのです。


だから、イエス様は集まるように言いました。


自分の体がどこに反応するか大切です。


信仰はまずイエス様に認められること。


そしてそれから、周りの人が私達の姿を見ています。


私も子供につい大きな声で叱ったりしますので、


柔和な人になるように努力しなければいけません。


優しく話したら、子供に「急に変わると気持ち悪い」と言われてしまいましたが(笑)


「自分は人間だから完璧にはできなくて当たり前だ」と言うのではなく、


みことばを守ろうと従順して、できなければ悔い改めながら、イエス様に頼るのです。


私達はみ声が聞こえても、自分の考えで動いてしまいます。


私も自分の考えが強く、反抗したことも多かった。


清い器として用いられると分からなかった。


ローマ人への手紙12:1
『あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。』


天国は毎日礼拝を捧げるところです。


それが嫌なら天国には入れません。


自分を生きた供え物としてささげることが真の礼拝です。


私も色んな面で足りません。人を傷つけたこともあったかも知れません。


信仰があるか、ないか。


聖霊のみ声に聞き従うか、聞き従わないか。


体があることによって、自分がどこに行くか吟味しないといけません。


生きている供え物として、自分をイエス様にささげる兄弟姉妹となりますようにお祈りします。」



アーメンキラキラ




メッセージ要約   M.N