2018年3月4日主日礼拝
聖書
ルカによる福音書 22章39節〜46節
42節
「父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください。」
崔牧師メッセージ
「イエス様が教えてくださった、信仰の道、いのちの道、御名の道はどういうものでしょうか。
イエス様は神の御子ですから、何でもできます。
ここで言う“杯を取りのけて”とは十字架を取り除ける事です。
神の御子であるイエス様は祭司長を滅ぼすことも、本当はできるのです。
しかし、イエス様の信仰を見てください。
イエス様ご自身は、何の罪もおかしてないし、何でもできる力を持っている。
全世界の兵士が来ても倒す事もできるのです。
『取りのけてください』とはイエス様の意思です。
飲まない事もできたし、捕らえに来た人たちを滅ぼす事もできた。
『100%御心に従います』
と、祈る事もできたのに、どうしてわざわざご自分の意思を示したのでしょうか。
『みこころが成るように』
イエス様は、わたし達に強制的に従わせる方ではありません。
『わたしの思いではなく』
イエス様にも意志がありました。
しかし、父のみこころに従った。
イエス様の働きは、自分の力があるからできるものではありません。
イエス様が私達のために背負ってくださった十字架。
私達も相手の過ちや弱点を背負ってあげるのが、私達の十字架です。
イエス様は、人間としては耐えられない痛みが伴う十字架に6時間もかけられて、最後に槍(やり)で突かれました。
私達はこれからどの様に宣教できるでしょうか。
世の中の人達は、皆自分が正しいと思っています。
その人達に伝えるべきイエスのあわれみ、真の愛はどういうものでしょうか。
主が教えてくださったイエスの御名、イエスの十字架は、悪霊を追い出し、病を癒して…それで終わりではありません。
イエス様が示してくださった信仰の歩み。
狭い道で、迫害も伴うし、苦難もある。
でも、それがイエス様が示してくださった信仰の道です。
私は、私と出会ったひとり、ひとりを、イエスの救いに導いてあげられるようにと祈っています。
相手を救いたいと思うなら、相手の過ち、弱点を背負って、愛をもってかかわるのが、イエス様が示してくださった信仰の道ではないでしょうか。
そういう思いでかかわっていく時に、周りの人が救われます。
イエス様が飲んでくださった杯は素晴らしい事です。
父の御名のために、イエス様が示してくださった私達が歩むべき道。
私達が自分を捨てて、十字架を背負う時に主ははたらかれます。
私達が選ばれたのには意味があるのです。
自分の弱さを主の御前で申し上げる時にイエス様が働いてくださいます。
十字架の真の意味を私達は知っています。
イエス様が私達にくださった救いのみわざを伝えるよう、人とかかわっていきましょう。」
アーメン

メッセージ要約 M.N
