2018年1月21日主日礼拝
聖書
マルコによる福音書第5章21節〜43節
会堂司に請われて、幼い娘を癒しに行く途中に長血をわずらった女がイエス様のみころもに触れ癒される箇所です。
崔牧師メッセージ
「当時うさわを聞きつけ、イエス様を一目見ようとたくさんの人が集まっていました。
この長血をわずらった女だけでなく、みんながイエス様に触られたいと思っていたはずです。
会堂司はそれがわかるから、娘の癒しを求めました。
イエス様は自分に誰が触れたのか、分からない事はないと思います。
でも、わざとこの女の足を止めたのです。
信仰は細かく求める人に主が応えてくださいます。
イエス様は長血の女をわざわざ
『わたしの着物にさわったのはだれか』
と、声を出して探しました。
女が癒されたのであれば、そのまま行かせてもよいのに。
この女も静かに去って行こうとしたのに、イエス様が声をかけてくださったので、恐れおののきました。
この時イエス様に触れた人は他にもたくさんいたはずです。
そして、女は33節『ありのままを申し上げました。』
この女の証しを群衆も聞いていました。
イエス様は『わたしの名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう』〈ヨハネ14:13〜14〉
とおっしゃいました。
イエス様は喜びが2倍3倍になるようにしてくださるのです。
わたし達も、今イエス様に会おうとしても、会えないし、触ろうとしても触れませんが、『あなた方の信仰が神の栄光を見ること』と教えています。
この長血の女も、触ったから救われたのではなく、34節『信仰が、あなたを救った』とイエス様はおっしゃっています。
信じる信仰はすごいのです。
この女も隠したい気だったが、イエス様はご存知で、わざわざ声をかけたのです。
そして、34節『すっかりなおって、達者でいなさい。』と声をかけています。
だから、わたし達も高ぶらず、この今の丈夫な体に感謝して、
『何ができるでしょうか?』
と、用いられるよう願いましょう。
歳をとって体が老いたら、できなくなります。
もちろん信仰は行いではありません。
信仰が大事なのです。
求めた人に細かく応えてくださるのがイエス様です。
信仰を持って歩もうとする時に、批判的な言葉で妨害しようとする人が周りにはいると思います。
でも、イエス様は、36節『話している言葉を聞き流して』とあります。
信仰を妨げる人がいても、
イエス様は『聞き流して信じなさい』とおっしゃっているのです。
不信仰の人の目と信仰の目は全く違います。
批判的な言葉を自分が受け入れたら、自分が潰れてしまいます。
不可能と思われることでも頼っていく信仰がわたし達ではないでしょうか。
求めているから与えられる、求めていないから与えられない。
静かに求めている人にも、応えて救ってくださるのです。」
アーメン✨
メッセージ要約 M.N

