2017年12月10日「尊い器」

2017年12月10日主日礼拝



聖書
テモテへの第二の手紙第2章14節〜26節

20節〜21節
「 大きな家には、金や銀の器ばかりではなく、木や土の器もあり、そして、あるものは尊いことに用いられ、あるものは卑しいことに用いられる。もし人が卑しいものを取り去って自分をきよめるなら、彼は尊いきよめられた器となって、主人に役立つものとなり、すべての良いわざに間に合うようになる。」




崔牧師メッセージ



「皆さんが一致する、ひとつになるためにはどうすればよいでしょうか?


数十人の集まりでもひとつになろうとすると、自分を捨てないとなれません。


これが何千人何万人となるとどうでしょうか。


バラバラになってなかなかなれません。


一致するのは大切です。ひとりひとりは小さくても集まると色んな事もできます。


 どうやって一致するか?愛し合い、助け合い、話し合い、祈り合う。そうすれば主がひとつにしてくださるのです。


教会とは建物ではなく、信仰をもった人の群れ、集いのことです。


愛を分け与えていきましょう。そうしないのであれば、山の中で一人信仰すればよいのです。


自分の壁を取り除いて、周りに自分の持っているものを分け与えていく。
いただいた恵みは自分がもらったものではなく、イエス様がくださったものです。

健康、仕事、時間、お金、すべてです。


どうやったらいただいたものを生かせるでしょうか。


このテモテへの手紙のみことばには


「卑しいものを取り去って自分をきよめるなら尊いきよめられた器となる」


と書いてあります。


ワイシャツをクリーニングに出したり、食器を洗うのと同じで、きれいにすると気持ちが良いですね。


自分たちの中にも卑しいところがあるから悔い改めてきれいにするのです。


自分をきよめると、来年また新しいものをのせてもらうことができます。


イエス様は私たちの中を見てらっしゃいます。


私の中に卑しいものがあっても、イエス様の血潮があるから悔い改めができます。


年末、一年の整理をしながら、自分の卑しいところを取り除きましょう。


そうするとイエス様がはたらいてくださいます。


自分の器はどういう器でしょうか?


イエス様は皆さんそれぞれに清い器になって欲しいのです。


このみことばの大きな家とは、イエス様の中でという意味です。


イエス様の恵みをのせてもらえる器になるように、


皆が共に証しして、共有できるように。


自分が受けた救いを自分でとどまらせず、分け与えましょう。


どうかきよくなって、イエス様が喜んでくださる器になるようにと求めてください。


私たちは救われて神の子になったんです。これで終わってはもったいないですよ。


霊的な欲は必要です。「どうでもいい」としたら、どうでもいい信仰となります。


自分が求めないと与えたくださらないのです。


今年も残りあと半月です。


必死で求めて、来年は尊い違う器になりましょう。」



アーメン✨


メッセージ要約  M.N