2017年12月3日「恵みを受けたその後」


2017年12月3日主日礼拝



聖書

詩篇第23篇

ルカによる福音書1章38節
「そこでマリアが言った、『わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように』。そして御使は彼女から離れていった。」




崔牧師メッセージ



「   聖書は自分に語ってくださっていると思うと全く違ってきます。


知っていて頭に入っていても、従順しなければ言葉に力がない。


今皆さんがもっている信仰はどういう信仰でしょうか。


私は韓国語を教えているのですが、長年教えていると、生徒さんの中で差が出てきます。


同じクラスの中でも、なかなか進まない人、家で復習して一生懸命勉強する人。


あまりできない人に学びのレベルを合わせていると、一生懸命勉強する人はレベルが合わなくなって、そのクラスを離れてしまいます。


聖書には「持っている人は更に与えられ、持っていない人は、持っているものまで取り上げられるであろう。」
と、書いてあります。


神の御心がわかる人は受けた恵みをもっと恵まれるように


知識も、もっと与えられるよう求めます。


時間が経てば経つほど、もっと謙虚になり、恵みを受けようとする人に、主はもっと与えてくださるのです。


でも、受けた恵みを軽んじると、かろうじて天の御国に行けるかどうか…という事になります。


家庭の事情、健康の状態ももちろんあります。


その苦しみは神がご存知です。でも、信仰が止まっている人もいるのです。


ある程度までは、牧師や宣教師などからの導きは必要ですが


主との関係がちゃんとできていないと、自分の信仰がわからなくなるのです。


日曜日に礼拝に来て、礼拝をささげて終わりだと思いますか?


バプテスマを受けて、聖霊様を受けたとしても、その後少しでも恵みを受けようとしないと何も起こらないのです。


恵みを受けたその後が大事です。


出来ないことを責めているのではありません。
もっと励みましょうということです。


血と水を流してくださり、私たちを赦してくださったイエス様のために、何ができるか?


「私のことばにとどまりなさい」とは従順しなさい、ということです。


私達がもっと求めていくときに、イエス様ははたらかれます。


霊的なことに、歳は関係ありません。


もっと求めて、神に用いられるように。


わたしは120歳まで霊的な働きができるように求めています。


自分の中で、イエスの血、水、神の命があり、口を通して証ししていく信仰生活をしていきましょう。


体は歳をとっても、霊魂に命がある人は力があります。


マリアは御使を通して神のみことばに従いイエス様を身ごもりました。


神のみわざを体験したい人は、「アーメン」するのです。


今年も残りあと1ヶ月です。
みことばに従っていきましょう。」



アーメン✨




メッセージ要約   M.N

*メッセージ要約担当が変更しました