2017年11月26日「真理」



2017年11月26日主日礼拝


聖書
ヨハネの第一の手紙第5章1~12節、ヨハネによる福音書第3章5節、ヨハネによる福音書第4章24節、ぺテロの第一の手紙第3章20, 21節




ヨハネの第一の手紙第5章1~12節
『すべてイエスのキリストであることを信じる者は、神から生れた者である。すべて生んで下さったかたを愛する者は、そのかたから生れた者をも愛するのである。神を愛してその戒めを行えば、それによってわたしたちは、神の子たちを愛していることを知るのである。神を愛するとは、すなわち、その戒めを守ることである。そして、その戒めはむずかしいものではない。なぜなら、すべて神から生れた者は、世に勝つからである。そして、わたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である。世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか。このイエス・キリストは、水と血とをとおってこられたかたである。水によるだけではなく、水と血とによってこられたのである。そのあかしをするものは、御霊である。御霊は真理だからである。あかしをするものが、三つある。御霊と水と血とである。そして、この三つのものは一致する。わたしたちは人間のあかしを受けいれるが、しかし、神のあかしはさらにまさっている。神のあかしというのは、すなわち、御子について立てられたあかしである。神の子を信じる者は、自分のうちにこのあかしを持っている。神を信じない者は、神を偽り者とする。神が御子についてあかしせられたそのあかしを、信じていないからである。そのあかしとは、神が永遠のいのちをわたしたちに賜わり、かつ、そのいのちが御子のうちにあるということである。御子を持つ者はいのちを持ち、神の御子を持たない者はいのちを持っていない。』



ヨハネによる福音書第3章5節
『イエスは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。」 』



ヨハネによる福音書第4章24節
『 神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである。』



ぺテロの第一の手紙第3章20, 21節
『これらの霊というのは、むかしノアの箱舟が造られていた間、神が寛容をもって待っておられたのに従わなかった者どものことである。その箱舟に乗り込み、水を経て救われたのは、わずかに八名だけであった。この水はバプテスマを象徴するものであって、今やあなたがたをも救うのである。それは、イエス・キリストの復活によるのであって、からだの汚れを除くことではなく、明らかな良心を神に願い求めることである。』




崔牧師メッセージ




「先週、イム牧師が来られてメッセージされましたが、私たちは、イエス様の栄光を見ることができるように、いつも祈り求めるべきです。



イエス・キリストは、父なる神のみこころによって、この地にからだをもってこられ、私たちが御子の肉を食べ、血を飲んで、生きるようにしてくださいました。



水とは父なる神の御言、真理を、血とは御子が全人類の罪のために流された血潮のことです。



私たち信じる者は日々、御言に従い、罪の悔い改めをします。



信じる者の中には、御言の栄光、血潮の栄光があります。



また、父が御子にくださった御名、イエスの御名が信じる者の中にあります。



イエスの御名の栄光、血潮の栄光、御言の栄光がある者に聖霊がこられて、あかしされます。



御子を信じて、罪の悔い改めと御言に伴うあかしがあり、聖霊の印を押された者が神の国に入ることができます。



バプテスマとは、どういう意味でしょうか?



全身が水の中に浸されますが、ただ風呂に入ってからだをきれいにすることではなく、罪人を水の中に葬って、よみがえられたイエス様と共に生かされる者になりました、という信仰告白です。



良心を神に願い求めるとは、信仰によってイエス様の功労を頼り、血潮による悔い改めと御言に聞き従って共に歩んでいきます、という意味です。



神の子の中にはイエス様の栄光がありますから、世の光、地の塩として、共に救いにあずかるたましいたちを導いていく使命があります。



二度と失われないために聖霊の印を押された私たちがいつも神の栄光を見て、私たち自身が何のために生かされているのか、神様が私たちそれぞれに与えられたビジョンが何であるのか、確信を持って歩む者となりますように、イエスの御名によってお祈りいたします✨」




アーメン✨


メッセージ要約   Satoko.M