2017年10月29日「御言をください」



2017年10月29日主日礼拝


聖書
マルコによる福音書第16章20節、ヨハネによる福音書第17章1~19節




マルコによる福音書第16章20節
『弟子たちは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主も彼らと共に働き、御言に伴うしるしをもって、その確かなことをお示しになった。』



ヨハネによる福音書第17章1~19節
『これらのことを語り終えると、イエスは天を見あげて言われた、「父よ、時がきました。あなたの子があなたの栄光をあらわすように、子の栄光をあらわして下さい。あなたは、子に賜わったすべての者に、永遠の命を授けさせるため、万民を支配する権威を子にお与えになったのですから。永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。わたしは、わたしにさせるためにお授けになったわざをなし遂げて、地上であなたの栄光をあらわしました。父よ、世が造られる前に、わたしがみそばで持っていた栄光で、今み前にわたしを輝かせて下さい。わたしは、あなたが世から選んでわたしに賜わった人々に、み名をあらわしました。彼らはあなたのものでありましたが、わたしに下さいました。そして、彼らはあなたの言葉を守りました。いま彼らは、わたしに賜わったものはすべて、あなたから出たものであることを知りました。なぜなら、わたしはあなたからいただいた言葉を彼らに与え、そして彼らはそれを受け、わたしがあなたから出たものであることをほんとうに知り、また、あなたがわたしをつかわされたことを信じるに至ったからです。わたしは彼らのためにお願いします。わたしがお願いするのは、この世のためにではなく、あなたがわたしに賜わった者たちのためです。彼らはあなたのものなのです。わたしのものは皆あなたのもの、あなたのものはわたしのものです。そして、わたしは彼らによって栄光を受けました。わたしはもうこの世にはいなくなりますが、彼らはこの世に残っており、わたしはみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに賜わった御名によって彼らを守って下さい。それはわたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります。わたしが彼らと一緒にいた間は、あなたからいただいた御名によって彼らを守り、また保護してまいりました。彼らのうち、だれも滅びず、ただ滅びの子だけが滅びました。それは聖書が成就するためでした。今わたしはみもとに参ります。そして世にいる間にこれらのことを語るのは、わたしの喜びが彼らのうちに満ちあふれるためであります。わたしは彼らに御言を与えましたが、世は彼らを憎みました。わたしが世のものでないように、彼らも世のものではないからです。わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、彼らを悪しき者から守って下さることであります。わたしが世のものでないように、彼らも世のものではありません。真理によって彼らを聖別して下さい。あなたの御言は真理であります。あなたがわたしを世につかわされたように、わたしも彼らを世につかわしました。また彼らが真理によって聖別されるように、彼らのためわたし自身を聖別いたします。』




崔牧師メッセージ




「父なる神様の御言は真理です。



考えてみれば不思議ですが、キリスト教会の信仰はいつの時代も変わることがありません。



深く読んでいけば、聖書一冊だけでもじゅうぶん恵みです。



今の時代は、何かすぐに新しいものを求めようとします。



この世の中のものはすべて変わりゆき、この世の中に真理はありません。



聖書は、この世の君は悪魔だと言っています。



ノンクリスチャンは『この世の君』が分かりません。



悪魔といえば、真っ黒い体に角が生えた姿を想像するくらいでしょう。



御言は変わることがありません。



病が癒されるのも、御言によってです。



私自身はじめて教会に行って、4つの病気が癒された時は分かりませんでしたが、1年たったあとに、『ああ、御言によって癒されたんだ』と、分かりました。



私たちひとりびとりの霊魂がしっかりと信仰に立って、御言に導かれる器になることが、教会にとって何よりも大切なことです。



教会はイエス様のからだですから、教会を重んじることはイエス様を重んじることであり、逆に教会を軽んじることはイエス様を軽んじることです。



心から主に仕える人は、もちろん心から教会に仕えます。



私たちが教会を自分の家のように重んじて、変わることなく仕える姿を、イエス様が見ておられます。



信仰に応じて、私たちの必要をイエス様が与えてくださいます。



先に建築の話をしましたが、礼拝を捧げる場所も、私たちの信仰を見て、イエス様が一番ふさわしい時に与えてくださるでしょう。



五つのパンと二ひきの魚だけで、男五千人を満腹させたようなみわざを、起こしてくださいます。



弟子たちも、他のことを語ったのではなく、御言を宣べ伝えました。



イエス様は2000年前に天の御座にのぼられましたから、助け主聖霊を、私たち信じる者につかわしてくださって働かれます。



私たちが御言にとどまる時に、聖霊が伴うしるしをもって働かれます。



皆さんは、モーセの律法でもなく、あるいはこの崔牧師の言葉でもなく、神様の御言、真理にとどまり、導かれるべきです。



私は、皆さんが御言に聞き従い、皆さんの中で聖霊が豊かに働かれることを、願って祈ります。



そのように祈る時に、中から聖霊の感動があります。



『この兄弟、この姉妹もイエス様から愛されているんだ』と、うれしくなります。



御言はイエス様のみこころですから、イエス様を愛する人ならば、御言に聞き従いたいでしょう。



ですが、時には御言に聞き従えないこともあります。



そんな時は悔い改めです。



悔い改めることも、イエス様を信じる信仰がなければできないことですから、恵みであり、感謝なことです。



御言を知って、信じている私たちが、更にイエス様のみわざを体験できるように、あかしをいただけるように、御言に聞き従う信仰が増し加わるように、イエスの御名によってお祈りいたします✨」




アーメン✨



メッセージ要約   Satoko.M