2017年10月22日「自分が恵まれる」





2017年10月22日主日礼拝


聖書
ヨハネの第三の手紙 2節、コロサイ人への手紙第3章12~17節




ヨハネの第三の手紙 2節
『愛する者よ。あなたのたましいがいつも恵まれていると同じく、あなたがすべてのことに恵まれ、またすこやかであるようにと、わたしは祈っている。』



コロサイ人への手紙第3章12~17節
『だから、あなたがたは、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者であるから、あわれみの心、慈愛、謙そん、柔和、寛容を身に着けなさい。互に忍びあい、もし互に責むべきことがあれば、ゆるし合いなさい。主もあなたがたをゆるして下さったのだから、そのように、あなたがたもゆるし合いなさい。これらいっさいのものの上に、愛を加えなさい。愛は、すべてを完全に結ぶ帯である。キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。あなたがたが召されて一体となったのは、このためでもある。いつも感謝していなさい。キリストの言葉を、あなたがたのうちに豊かに宿らせなさい。そして、知恵をつくして互に教えまた訓戒し、詩とさんびと霊の歌とによって、感謝して心から神をほめたたえなさい。そして、あなたのすることはすべて、言葉によるとわざによるとを問わず、いっさい主イエスの名によってなし、彼によって父なる神に感謝しなさい。』




崔牧師メッセージ




「私たちは、世の光です。



私たちは信仰生活しながら、一番に何を求めるのでしょうか?



聖書に、『神と富とに兼ね仕えることはできない』と書いてあります。



お金はヘブライ語で、『マンモネ』と言い、『主人』という意味です。



ヨハネの第三の手紙の箇所を一緒に読みましょう。



私たちのたましいが恵まれていることが、まず先に書かれています。



お金は、追い求めれば追い求めるほど、逃げていく気がします。



お金を必要以上に求める者は、結局自分が何をしているのか、どこに行くのかが分からなくなります。



莫大な富を築いても、後の日にすべてを失う者もいれば、子孫が争う元になったりします。



イエス様は、私たち神の子に対しては、たましいの益にならないことは与えてくださいません。



『イエス様だけがすべてです。すべてを与えてくださる方はイエス様です』と口では告白しながら、どこか目に見えるものをつかんでいる私たちがいるのではないでしょうか?



礼拝の前に祈っている時に、『一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至る』という御言の箇所を、聖霊様から与えられました。



聖霊様が感動をくださった時に、私は『従います。みこころならば、御国のために死にます』と告白することができました。



『ひとりでも多くのたましいが救われるなら』という思いから、日本につかわされた私ですが、どれくらい聖霊様に満たされて、ただただ御国のことだけを思っているかと言われたら、イエス様に対して申し訳ない姿がたくさんありました。



まったく会ったことがない人も、『隣人』です。



『この人も、私のように救われてほしい』という思いがあるならば、声をかけるはずですが、思いが働かない時もありました。



その隣人も、自分のからだのように愛しなさいと言われるのに、親しい、教会の方や家族をも、なかなか自分自身のように思うことは難しいです。



コロサイ人への手紙の箇所、『神に選ばれた者、聖なる、愛されている者』は、私たち信じる者のことです。



それならば、あわれみの心、慈愛、謙そん、柔和、寛容を身に着けなさい、と書かれていますが、ひとつひとつ見たらどれも足りない、自分がイエス様からゆるされたのに、相手が少し自分の考えと違えばゆるしたくない、という思いが働くこともあります。



これだけでもじゅうぶんイエス様の愛ですが、その上に『愛を加えなさい』です。



愛は、イエス様のことです。



いつも感謝している、イエス様の恵みでいっぱいな人は、少しのことでいらだったり、揺れ動かないでしょう。



心の中心がどこにあるのか、絶えずイエス様を重んじる人は、何があっても、その問題に焦点を合わせるのではなく、イエス様に焦点を合わせて、イエス様に伺い、ゆだね、導きに従うでしょう。



仕事も、家庭生活も、イエス様が中心におられるように自分自身が求めて、従順する時に、まったく違ったものになります。



教会はイエス様のからだですから、教会に心があり、重んじることは、イエス様を重んじることです。



私たちがふさわしい器になった時に、私たちのすべての必要は、イエス様がそそいでくださいます。



私たちのたましいが恵まれていることが、何よりもイエス様が私たちに願っておられることであり、すべてのことに恵みを受けることも、人に分け与えることも、そこからはじまります。



皆さん、イエス様からの恵みがいつも私たちの中に満ちあふれ、世を照らしていく信仰者となりますように、イエスの御名によってお祈りいたします✨」




アーメン✨


メッセージ要約   Satoko.M