2017年10月15日主日礼拝
聖書
ヨハネによる福音書第16章29~33節、マタイによる福音書第14章22~33節
ヨハネによる福音書第16章29~33節
『弟子たちは言った、「今はあからさまにお話しになって、少しも比喩ではお話しになりません。あなたはすべてのことをご存じであり、だれもあなたにお尋ねする必要のないことが、今わかりました。このことによって、わたしたちはあなたが神からこられたかたであると信じます」。イエスは答えられた、「あなたがたは今信じているのか。見よ、あなたがたは散らされて、それぞれ自分の家に帰り、わたしをひとりだけ残す時が来るであろう。いや、すでにきている。しかし、わたしはひとりでいるのではない。父がわたしと一緒におられるのである。これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。』
マタイによる福音書第14章22~33節
『それからすぐ、イエスは群衆を解散させておられる間に、しいて弟子たちを舟に乗り込ませ、向こう岸へ先におやりになった。そして群衆を解散させてから、祈るためひそかに山へ登られた。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。ところが舟は、もうすでに陸から数丁も離れており、逆風が吹いていたために、波に悩まされていた。イエスは夜明けの四時ごろ、海の上を歩いて彼らの方へ行かれた。弟子たちは、イエスが海の上を歩いておられるのを見て、幽霊だと言っておじ惑い、恐怖のあまり叫び声をあげた。しかし、イエスはすぐに彼らに声をかけて、「しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない」と言われた。するとペテロが答えて言った、「主よ、あなたでしたか。では、わたしに命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください」。イエスは、「おいでなさい」と言われたので、ペテロは舟からおり、水の上を歩いてイエスのところへ行った。しかし、風を見て恐ろしくなり、そしておぼれかけたので、彼は叫んで、「主よ、お助けください」と言った。イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかまえて言われた、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」。ふたりが舟に乗り込むと、風はやんでしまった。舟の中にいた者たちはイエスを拝して、「ほんとうに、あなたは神の子です」と言った。』
崔牧師メッセージ
「『わたしはすでに世に勝っている』と、イエス様がおっしゃいました。
私たちには悩みがあります。
ない人はいないでしょう。
目に見えることだけを考えたら、不安になったり、いじけたり、恐れたり、時には人をねたんだり、憎むことも、体がある人間としてはあるでしょう。
なければ神様です。
イエス様には悩みがあったでしょうか?
もちろん、イエス様の悩みは私たちの悩みとは次元が違うでしょう。
イエス様は父と等しい方であるにもかかわらず、人間の形を、体をもってこられたということは、しもべの姿になられたということですから、父のみまえでご自分を低くされて、地上に来られました。
イエス様にも人格はあり、お考えはありましたが、父のみこころに従うことが、イエス様の願いでした。
イエス様も人格があるから悩むことはあったとしても、人間的な悩みではなく、いかにして父のみこころに従い、父の栄光をあらわすかということで、悩まれたでしょう。
イエス様が私たちに、『勇気を出しなさい』とおっしゃったのは、イエス様が2000年前に体をもってこられて、苦難を受けられ、十字架につけられて、3日目によみがえられたことによって、この世の君である悪魔のしわざが滅ぼされたからです。
先週、先々週と、クォン宣教師が講義してくださった中で、しっかりと語られていたことです。
人間は弱いですが、イエス様の功労を思い、その方に頼ることが信仰ではないでしょうか?
『イエス様が世に勝たれたから、私たちもイエス様を見上げて勝利して』と言うと、『イエス様は神の御子だけど、私たちは人間だから同じようにできるわけがない』と言うかもしれませんが、パウロ先生だったらどうでしょうか?
獄に入れられても平安があり、喜んで、イエス様を賛美していました。
一年先輩でも先輩ですが、パウロ先生は 2000年も私たちより先輩です(笑)
パウロ先生は私たちと同じ人間であり、また同じ聖霊に導かれて歩まれました。
皆さん、自分や自分の子どもが、治らないと言われている病気にかかったとしたら、悩まないでしょうか?
心があり、体があるなら悩むでしょう。
私自身、病気になった時は恐れはありませんでしたが、『イエス様のみこころならば120歳まで生かされて、働きがしたい』という願いがあるから、悩むというか、思いがあれこれ駆け巡ることはありました。
どうなるかはイエス様だけがご存知ですから、本当は悩む必要がありません。
先ほどM姉妹が、『与えられただけまっとうしたいです』と言われたとおりです。
また、『イエス様、私にはこのような願いがあります。どうかよろしくお願いします』と、ニコニコしながらイエス様に申し上げていたのが、何時間かたってちょっと何か起こったら、ガクーッとなって、『さっきまでの信仰はどこにいった?』ということも、いくらでもあると思います。
今夜から、ビートルに乗って釜山に行きますが、以前ビートルに乗った時は、甲板の、風が一番強く当たるところにずっと立っていたことがありました。
風がとても強くて、手すりにしっかり捕まっていないと吹き飛ばされそうでした。
その時に、聖書の嵐の場面を思い出して、イエス様のように『黙れ! 静まれ!』と叫びましたが、波と風は静まりませんでした(笑)
大きなビートルでもそうですから、弟子たちが乗っていた舟はいかに揺れたでしょうか?
その上、海の上を人が歩くなんて信じられないから、イエス様がそのようにされた時に、弟子たちが幽霊だとおじ惑ったのも無理はなかったでしょう。
今の私たちは、霊的存在について知っていますから、幽霊を恐れることはないでしょう。
すべて霊的だと今では分かりますが、子どもの時は、田舎でしたから家の中にトイレがなくて、夜中にトイレに行くというと、何か後ろからひっぱられるように感じて、恐ろしかったことがありました(笑)
皆さん、悩むことも恐れることもいじけることもありますが、そんな私たちだから、世に勝たれたイエス様に頼ることによって、勇気を出すことができるのではないでしょうか?
不安も恐れもねたみも憎しみも、持ってくる者は悪魔ですから、イエス様につながって悪魔に勝利していく、これからの私たちとなりますように、お祈りいたします✨」
アーメン✨
メッセージ要約 Satoko.M

