2017年10月1日「アダムの子孫」




2017年10月1日の主日礼拝



ネヴィウス弟子宣教教会から来られた、クォン宣教師が2週4回にわたり講義をしてくださいます。




はじめて教会に来られた方に対して、私たちが信仰を分かりやすく伝えるためにどのように教えたらいいのか、そのことについてメッセージとして語ってくださいました。




創世記第1章1~31節
『はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。神は「光あれ」と言われた。すると光があった。神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。神はまた言われた、「水の間におおぞらがあって、水と水とを分けよ」。そのようになった。神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。神はそのおおぞらを天と名づけられた。夕となり、また朝となった。第二日である。神はまた言われた、「天の下の水は一つ所に集まり、かわいた地が現れよ」。そのようになった。神はそのかわいた地を陸と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神は見て、良しとされた。神はまた言われた、「地は青草と、種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ果樹とを地の上にはえさせよ」。そのようになった。地は青草と、種類にしたがって種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ木とをはえさせた。神は見て、良しとされた。夕となり、また朝となった。第三日である。神はまた言われた、「天のおおぞらに光があって昼と夜とを分け、しるしのため、季節のため、日のため、年のためになり、天のおおぞらにあって地を照らす光となれ」。そのようになった。神は二つの大きな光を造り、大きい光に昼をつかさどらせ、小さい光に夜をつかさどらせ、また星を造られた。神はこれらを天のおおぞらに置いて地を照らさせ、昼と夜とをつかさどらせ、光とやみとを分けさせられた。神は見て、良しとされた。夕となり、また朝となった。第四日である。神はまた言われた、「水は生き物の群れで満ち、鳥は地の上、天のおおぞらを飛べ」。神は海の大いなる獣と、水に群がるすべての動く生き物とを、種類にしたがって創造し、また翼のあるすべての鳥を、種類にしたがって創造された。神は見て、良しとされた。神はこれらを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、海の水に満ちよ、また鳥は地にふえよ」、夕となり、また朝となった。第五日である。神はまた言われた、「地は生き物を種類にしたがっていだせ。家畜と、這うものと、地の獣とを種類にしたがっていだせ」。そのようになった。神は地の獣を種類にしたがい、家畜を種類にしたがい、また地に這うすべての物を種類にしたがって造られた。神は見て、良しとされた。神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。神はまた言われた、「わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう。また地のすべての獣、空のすべての鳥、地を這うすべてのもの、すなわち命あるものには、食物としてすべての青草を与える」。そのようになった。神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。夕となり、また朝となった。第六日である。』



創世記第2章7~17節
『主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。主なる神は東のかた、エデンに一つの園を設けて、その造った人をそこに置かれた。また主なる神は、見て美しく、食べるに良いすべての木を土からはえさせ、更に園の中央に命の木と、善悪を知る木とをはえさせられた。また一つの川がエデンから流れ出て園を潤し、そこから分れて四つの川となった。その第一の名はピソンといい、金のあるハビラの全地をめぐるもので、その地の金は良く、またそこはブドラクと、しまめのうとを産した。第二の川の名はギホンといい、クシの全地をめぐるもの。第三の川の名はヒデケルといい、アッスリヤの東を流れるもの。第四の川はユフラテである。主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。』



創世記第3章9~19節
『主なる神は人に呼びかけて言われた、「あなたはどこにいるのか」。彼は答えた、「園の中であなたの歩まれる音を聞き、わたしは裸だったので、恐れて身を隠したのです」。神は言われた、「あなたが裸であるのを、だれが知らせたのか。食べるなと、命じておいた木から、あなたは取って食べたのか」。人は答えた、「わたしと一緒にしてくださったあの女が、木から取ってくれたので、わたしは食べたのです」。そこで主なる神は女に言われた、「あなたは、なんということをしたのです」。女は答えた、「へびがわたしをだましたのです。それでわたしは食べました」。主なる神はへびに言われた、
「おまえは、この事を、したので、
すべての家畜、野のすべての獣のうち、
最ものろわれる。
おまえは腹で、這いあるき、
一生、ちりを食べるであろう。
わたしは恨みをおく、
おまえと女とのあいだに、
おまえのすえと女のすえとの間に。
彼はおまえのかしらを砕き、
おまえは彼のかかとを砕くであろう」。
つぎに女に言われた、
「わたしはあなたの産みの苦しみを大いに増す。
あなたは苦しんで子を産む。
それでもなお、あなたは夫を慕い、
彼はあなたを治めるであろう」。
更に人に言われた、「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、
地はあなたのためにのろわれ、
あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。
地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、
あなたは野の草を食べるであろう。
あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、
あなたは土から取られたのだから。
あなたは、ちりだから、ちりに帰る」。』



伝道の書第3章20~21節
『みな一つ所に行く。皆ちりから出て、皆ちりに帰る。だれが知るか、人の子らの霊は上にのぼり、獣の霊は地にくだるかを。』



ローマ人への手紙第3章23, 24節
『すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。』



ローマ人への手紙第5章12節
『このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである。』




クォン宣教師メッセージ




「人間とはどのような存在であり、どこから生まれ、何のために生き、どこに帰るのか、だれでも一度は考えたことがあるでしょう。



長い間、あらゆる人々がそのことについて探索し、研究し、哲学や宗教が生まれました。



それでも明確な答えを出すことは、だれにもできませんでした。



私にも、『何でこんな境遇の中で、病気があって、何のために私は生きているのか?』と、悩んだ時期がありました。



聖書が、あまりにも簡単に私の疑問に答えてくださいました。


それまで難しく考えてきたので、あまりにも簡単な答えに、信じられないくらいでした。



聖書に、この天と地に満ちているすべてのものはイエス様によってつくられたと、書かれています。



どれだけたくさんの生き物がこの地球上に存在するでしょうか?



人間が生きるために必要なすべてのものを用意してくださったあとに、最後に人間が造られました。



聖書が分からない人は、人間が他の生物から進化した、近い存在として猿から進化したと言いますが、その明確な証拠がいまだにありません。



人間は人間は、猿は猿です。



猿が先祖ならば、猿に供え物をしなくてはなりませんが、進化論を唱える科学者もそんなことはしていません。



すべての被造物の中で、もっとも価値のあるものとして、人間だけが神様の形にかたどって造られました。



造られた瞬間、すべての生き物は動き出しました。



人形のみたいに形を先に造っておいて、それから動けと命令したのではありません。



人間も造られた瞬間、体を持って動き出しました。



そのあと、人の中から体を持った人間としてもっともすぐれたアダムをエデンの園につれてこられて、体の中に命の息を吹き入れられ、アダムは霊的存在になりました。



それまで体と人格だけだった人間が、霊的存在になりました。



霊は神の息吹ですから、永遠なる存在です。



エデンの園で神様がアダムに、『善悪を知る木の実を食べたらきっと死ぬであろう』と、言われた御言は、アダムの体ではなく、霊にくださった糧です。



アダムが御言に不従順して、善悪を知る木の実を食べた時から、アダムはつまり全人類は死んだものになりました。



死んだものになったとは、アダムの体ではなく、霊の死を言っています。



体が死んだのであれば、アダムの子孫は生まれなかったでしょう。



このように、全人類はアダムの中で皆罪人です。



人間はどのような存在かと問われたら、『罪人です』と答えます。



私たちが望む望まないにかかわらず、人は皆、母の胎の中にいた時から罪人です。



罪とは、今まで世の中で獄に入れられるようなことをしたという意味ではなく、アダムの霊が死んで、罪が全人類に入り込んできたことによります。




人間がさまざな問題をかかえるのは、アダムの霊が死んだことによって、全人類に罪が入り込んだことによります。



悪い思いが出てくるのも、人間の霊に罪があるからです。



人は、心で犯す罪がどれくらいたくさんあるでしょうか?



心の中は人からは見えませんが、自分だけはよく分かります。



思うだけでも罪ですが、節制できなければ体でも罪を犯すことになり、そうすれば獄に入れられるでしょう。



人間には肉体があり、その中に魂があり、そして霊があります。



世の人も魂は分かりますが、霊については分かりません。



魂は、言い換えれば人格です。



人格には、知識と意志と感情があります。



人間は絶えず知識を探求し、文明を発展させてきました。



また人間は、自由に意志決定をすることができます。



また、喜怒哀楽、さまざま感情を持ちます。



知識と意志と感情のバランスが取れることで、完全な人格を持つことが出来ます。



知識が不足すれば無知になります。



意志がなければ、何一つ達成できません。



感情のコントロールができなければ人と衝突ばかり起こし、感情がなくても人間らしさがなくなります。



神様は、人間に人格を与えることにより、ロボットのようにではなく、みずからの意志で神様を受け入れることが出来るように造られました。



自分の意志がありますから、知識を得たのであれば、何を選ぶかはそれぞれの自由ですが、責任が生じます。



自分の意志で、神様のもとに帰れば永遠のいのちがありますが、対敵するならば滅びます。



人間の肉体は時が来れば土に帰りますが、霊魂は天国に行っても地獄に行っても、永遠になくなることはありません。



肉体は食べ物を欲し、魂は、知識や権力、富、名誉を欲します。



ビル・ゲイツはすべてにおいて満足しているでしょうか?



霊に神様の御言がなければ、この世のすべてを手に入れたとしても、満足することはできません。



アダムとは自分自身です。



アダムは、肉体を持った霊的な存在です。



人間は生きる霊であり、神様は生かす霊です。



私たちの霊は、神様なしでは生きられません。



神様は、すべての必要を私たちに与えてくださいました。



私たちはいつも、霊の糧である神様の御言によって生かされ、感謝とまことの平安と喜びがあるべきです。



御言があるところに聖霊様が豊かに働かれ、私たちの霊魂が満ちあふれます。



私たちが神様を知る知識をしっかりと学んで、自分の意志でいのちを選び取り、自分の感情をすべてイエス様のみまえでおろして、ありのままをさらけ出して、祈り申し上げていくことによって、霊的に満ち足りて、飢え渇くことのない人生をまっとうすることができるでしょう。



それではイエス様の御名を呼び求めて、神様のかたちにかたどって造ってくださったことの感謝と、いつも霊の糧を得て、豊かな霊的信仰生活ができますようにとお祈りいたしましょう!!」




アーメン✨



メッセージ要約   Satoko.M