2017年9月17日「霊感を求める」


2017年9月17日主日礼拝
 

聖書
ヨハネによる福音書第4章19~26節
『女はイエスに言った、「主よ、わたしはあなたを預言者と見ます。わたしたちの先祖は、この山で礼拝をしたのですが、あなたがたは礼拝すべき場所は、エルサレムにあると言っています」。イエスは女に言われた、「女よ、わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが、この山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。あなたがたは自分の知らないものを拝んでいるが、わたしたちは知っているかたを礼拝している。救はユダヤ人から来るからである。しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。神は霊であるから、礼拝をする者も、霊とまこととをもって礼拝すべきである」。 女はイエスに言った、「わたしは、キリストと呼ばれるメシヤがこられることを知っています。そのかたがこられたならば、わたしたちに、いっさいのことを知らせて下さるでしょう」。イエスは女に言われた、「あなたと話をしているこのわたしが、それである」。』




崔牧師メッセージ




「皆さんは、私がどんな働き人が好きだと思いますか?



たくましい人ですか、それとも弱々しい人ですか?



このことは、ただただ目に見える肉的なことを言っているのではありません。



信仰は霊的であり、霊感がある人は霊的な信仰生活をします。



信仰生活をするのに、霊感がある人とない人とでは、まったく違います。



『霊とまこととをもって』というのは、聖霊の御声を聞いて、御言に従って、という意味です。



たとえば、ヒラメが目の前にあるとします。



肉的には、『あ、ヒラメだ』と思うだけですが、霊感がある人は、『このヒラメもイエス様によってつくられ、今こうして私にくださったのもイエス様です。ありがとうございます』と思って、イエス様に感謝するでしょう。



見える対象が、アスパラガスであれ、ウォッシュレットであれ、私の小さい目であれ、同じことです(笑)



天と地に満ちているすべてのものはイエス様によってつくられており、霊的な目をもって見る時にはすべてが感謝です。



霊感がある人は、人をさばいたり、判断することもあまりなく、逆に人の足りない姿が見えても、その人を祝福して祈ってあげることができます。



霊感がある人は何か物事が起こっても、つねに神の御声を聞こうとします。



目の前のことにふりまわされるのではなく、逆にもっと信仰が強くなります。



苦難の時の方がかえって信仰が成長します。



今は物質的には不自由もない時代だから、必死に求めることがあまりないかもしれません。



信仰は霊的ですから、本来は、2000年前も1000年前も今も同じです。



私たちが霊感によって信仰生活ができるように、イエス様は天にのぼられてから、私たちに聖霊をつかわしてくださっています。



聖霊によらないと、霊感が何かも分かりにくいです。



霊感があることによって、とても信仰生活がしやすくなります。



霊感があれば、この世の中で起こることに左右されず、イエス様と深く交わりを持つことができるからです。



皆さん、霊感があるように祈りましょう。



霊感によって、いつもイエス様と深い交わりを持って、霊的に豊かな信仰生活ができますように、イエスの御名によって祝福いたします✨」




アーメン✨


メッセージ要約  Satoko.M