2017年8月27日「神様の権威」


2017年8月27日主日礼拝




聖書
マタイによる福音書第17章1~13節



マタイによる福音書第17章1~13節
『六日ののち、イエスはペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、その顔は日のように輝き、その衣は光のように白くなった。すると、見よ、モーセとエリヤが彼らに現れて、イエスと語り合っていた。ペテロはイエスにむかって言った、「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。もし、おさしつかえなければ、わたしはここに小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために」。彼がまだ話し終えないうちに、たちまち、輝く雲が彼らをおおい、そして雲の中から声がした、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに聞け」。 弟子たちはこれを聞いて非常に恐れ、顔を地に伏せた。イエスは近づいてきて、手を彼らにおいて言われた、「起きなさい、恐れることはない」。彼らが目をあげると、イエスのほかには、だれも見えなかった。一同が山を下って来るとき、イエスは「人の子が死人の中からよみがえるまでは、いま見たことをだれにも話してはならない」と、彼らに命じられた。弟子たちはイエスにお尋ねして言った、「いったい、律法学者たちは、なぜ、エリヤが先に来るはずだと言っているのですか」。答えて言われた、「確かに、エリヤがきて、万事を元どおりに改めるであろう。しかし、あなたがたに言っておく。エリヤはすでにきたのだ。しかし人々は彼を認めず、自分かってに彼をあしらった。人の子もまた、そのように彼らから苦しみを受けることになろう」。そのとき、弟子たちは、イエスがバプテスマのヨハネのことを言われたのだと悟った。』




崔牧師メッセージ




「ここではぺテロがはっきりと分からなくて、『偉大な人が三人いるから、記念に三つ小屋を建てましょう』と、三人を同格のように申し上げました。



弟子たちにとってもそうですが、旧約の聖書を知っているイスラエルの人たちにとって、モーセとエリヤは、メシヤが来られることを預言した、偉大な人たちです。



目の前におられるイエス様こそがメシヤだと、弟子たちも本当には分かっていませんでした。



モーセとエリヤは人としては偉大でも、イエス様が来られる道を備えた案内人にすぎません。



ただ御子だけが、父なる神の御心です。



同じように、イエス様にとっては、私たち信じる者が、イエス様の御心にかなう者です。



私たちは、聖書の御言に権威を認めるから、イエス様を信じて、信仰生活をしています。



御言に権威を認めないならば、ただのさわがしい説教にすぎません。



たとえば、牧師が今ここに立って語っていますが、『イエス様の権威によって牧師が立てられた』と認める時は、言葉が自分の中に入ってきますが、そうでなければ、『何で? あんな人が』という思いになるかもしれません。



そうすると全然恵みを受けられないし、言葉が自分の中に入ってきません。



確かに、人を見たら足りないところだらけでしょう。



神様の権威によってこの人が立てられているということが分からなければ、なかなか人の話も聞きません。



今の世の中、目上の人や年長者を敬うということが、どんどんなくなってきています。



家庭の中でも、親の親をさかのぼれば、イエス様にたどり着きます。



愛は、隣人に害を加えることはありません。



愛することと敬うことは、すべて神様から来ます。



この悪い時代に、私たちがイエス様から受けた愛を恵みを、世の人々に告げ知らせることが、神様のみこころです。



絶えずイエス様の御声を慕い求め、聞いて行う一週間となりますように、お祈りいたします✨」



アーメン✨



メッセージ要約 Satoko.M