2017年8月20日主日礼拝
聖書
マタイによる福音書第11章28節
マタイによる福音書第11章28節
『すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。』
崔牧師メッセージ
「重荷を負うて苦労している者とは、どんな姿をしているでしょうか?
私が思うに、格好を気にするどころではなく、病気や問題をかかえて、疲れた顔をしていたでしょう。
韓国語の聖書では、『疲れた者』と書かれています。
私自身、イエス様と出会う前の4つの病気と戦っていた時は、表情も疲れていましたし、かっこうも変でした。
イエス様は、『シャワーして、化粧して、美容院に行って、きれいにしてから私のところに来なさい』と、おっしゃる方ではないでしょう。
イエス様は私たちの罪、弱さ、足りなさをすべてになってくださるために、父なる神様のみこころに従ってこられました。
人に対しては、ここまでは言えるけど、これ以上は言えないということがありますし、約束しても、絶対ということは言えません。
イエス様のみまえでは、すべてさらけ出すことができます。
イエス様は、約束も絶対に守ってくださる方です。
病気でも、どんな罪を犯していても、問題があっても、むしろそういう人こそもっとイエス様に近付いていくべきです。
また、互いに重荷を負い合うところが教会です。
イエス様が私たちの重荷を負うてくださったことを思いながら、他の人の重荷を信仰によってになっていくことが、イエス様からあわれみを受けた人の姿ではないでしょうか?
私たちは他の人の足りない姿を見て、悪口を言ったり、さばくのではなく、イエス様の側に立って、その人が良くなることを願って祈り、できることをしてあげることではないでしょうか?
イエス様は、私たちを見た目で判断せず、一番醜い姿であっても受け入れてくださいました。
皆さん、だれにでも重荷があるでしょう。
私自身は正直、さまざまな人とかかわる中で、相手との間に信仰のあり方の違いを感じた時に、かかわることに重荷に感じることがあります。
どんな姿でも正直な自分自身をさらけ出し、イエス様に重荷をゆだねていきましょう。
また、イエス様からあわれまれたように、互いに重荷を負い合うことができる、いのちの道キリスト教会となりますように、お祈りいたします✨」
アーメン✨
メッセージ要約 Satoko.M

