2017年8月6日「心は大切」


2017年8月6日主日礼拝


聖書
ピリピ人への手紙第2章1~5節、マタイによる福音書第11章28~30節



ピリピ人への手紙第2章1~5節
『そこで、あなたがたに、キリストによる勧め、愛の励まし、御霊の交わり、熱愛とあわれみとが、いくらかでもあるなら、どうか同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、一つ思いになって、わたしの喜びを満たしてほしい。何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互に人を自分よりすぐれた者としなさい。おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい。キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互に生かしなさい。 』



マタイによる福音書第11章28~30節
『すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである』




崔牧師メッセージ




「今日は皆さんと共に『心』について、考えてみたいと思います。



先週は、自分自身の心について、深く考えさせられる機会がありました。



聖書を読むと、どれくらいたくさん心という言葉が出てくるのか、あまりにも多いです。



ピリピ人への手紙の箇所だけでも、『愛の心』『心を合わせる』『ひとつ思い』『へりくだった心』『他人のことも考えなさい』と、いくつもあります。



イエス様を信じている私たちは、イエス様の弟子には違いありませんが、『イエス様の真の弟子になる』ためには、御言にとどまらなければいけません。



御言にとどまることは、主のみまえにへりくだった心を持たなければ、できません。



昨日、一人で深く祈りました。



そうしたら、自分自身の心について気付かされて、足りないところがたくさん見えてきました。



御言は、『一つ思いになりなさい』『へりくだった心をもって互いに人を自分よりすぐれた者としなさい』、『他人のことも考えなさい』と、言っています。



謙遜な時は、『ああそのとおりだな』、『御言は間違いがない。足りないのは自分自身だな』と思いますし、御言どおりになりたいなと思うのですが、ある時には、『一つ思いになりたくない』、『へりくだった心をもって人を自分よりすぐれた者としたくない』、『他人のことを考えたくない』、という思いが働くこともあります。



イエス様の真の弟子になりたいと、思いながらです。



イエス様は、『すべて重荷を負うている者は、わたしのもとにきなさい』と、言われました。



私だったら、だれに対してもいつでもこのように言えるかな、と考えてみました。



分け隔ててはいないつもりでも、自分の利益を求める思いがどこかあったり、何かの欲があったり、また自分の思いと違うことがあれば、怒りまではなくても、『何で?』と、心の中から上がってくることもあって、なかなか柔和になれない、心からへりくだれないところもあります。



また私たちは、自分一人でイエス様のところに来たのではありません。



必ず自分の前にだれか導いてくださった人がいます。



その人が、イエス様の真の弟子と言えるくらいの立派な信仰者かと言ったら、そうじゃないこともあります。



人を見たら、私はこの人と一緒にイエス様を信じて真の弟子になりたいと、思える時ばかりではありません。



自分を導いてくださった人が悪くなったら、『もうこの人がやめたから、自分もやめた』なんて思うことも、弱くなったらあるかもしれません。



自分自身はしっかりと立って、また相手のことも変わらずに愛していくことが、イエス様から喜ばれることでしょう。



箴言の中に、自分の心を守ることの大切さが書かれています。



私たちは人間です。



失敗することもあります。



パウロ先生にも他の信仰の先輩たちにも、弱さがありました。



大事なのは、一万回失敗してもあきらめない、イエス様が答えをくださる時まで待ち望む、求め続けることです。



あきらめたら、イエス様が働かれるところがありません。



私たち自身が、信仰によってイエス様の中にあって、どうしたいのか、ビジョンを持つことが大事です。



願うことがあっても、なかなか先が見えないと、疑いがちなのが人間の弱さですが、あきらめることと同じくらい、疑うことも良くありません。



疑わずに、あきらめずに、イエス様に願い求めていけば、時が来れば必ず答えられます。



私は、皆さんひとりひとりがイエス様にあって、堅く立ってくださることを願って、祈っています。



今日はメッセージが重くなりましたが、私自身がイエス様に悔い改め、みずからの歩みについて、改めて深く考えさせられたことがありましたから、皆さんにも大切なことだと思って、熱く語りました。



私自身と皆さんが、これから更にイエス様にあって力強く、決してやめないで、求めて歩んでいけますように、お祈りいたします✨」




アーメン✨



メッセージ要約   Satoko.M