2017年7月9日主日礼拝
聖書
ヘブル人への手紙第13章8節
ヘブル人への手紙第13章8節
『イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変ることがない。』
崔牧師メッセージ
「私たちはだれを見て、信仰生活をしているんでしょうか?
世の人も、『神様』という言葉は使います。
海や山や、造られたあらゆるものを見て、これは人間が造ることはできない、だれかがこの世界を造ったのだろう、人間ではない他の何かが、でもそれが何かは分からない、何と呼ぶべきかも分からない存在を『神様』と、ノンクリスチャンも呼ぶことはあります。
でも世の人は、永遠前からおられ、この天と地を造られ、私たちを罪から救ってくださった、まことの神の御名である、イエスの御名を知りません。
イエスの御名を呼び求めている私たちは、さいわいな者です。
私たちの中におられる聖霊が、イエスの御名だけがまことに命に至る道であると、悟らせてくださいます。
イエス様が変わられるのであれば、私たちは忍耐して、約束を待ち望むこともありません。
私は先週から3日間、右のお腹が痛くて、立つのも座るのも食べるのも大変でした。
体に不調があることは、イエス様が私に何か気付きを与えてくださるためではないかなと思い、深く祈ってみました。
私と同じ信仰を持って、イエス様の働きをされる人たちに対して、私自身が相手の態度や足りないところにひっかかって、さびしく思うことがあって、その方々のために心から祈ることができなかったことがあったことが思い起こされて、悔い改めに導かれました。
『イエス様、申し訳ありません。足りないのは私でした。兄弟を心から愛せなかった私をおゆるしください』と。
そうしたらイエス様がかえりみてくださり、痛みがあった箇所が良くなりました。
今回のことをとおして、『イエス様は変わられることがないけれど、私自身は変わることがある。たくさんある』と、思い知らされました。
変わられることがないイエス様にもっと、大胆に求めていきましょう。
信仰は人に見せるためではありませんが、弱々しくては迫害を受けることもありません。
今のこの時にも、イエス様の福音が宣べ伝えられていないところが、まだまだたくさんあります。
そのようなところへつかわされて、命をかけて福音のために働く人々は、姿勢がまったく違います。
そのような姿を見たら私はどうかなと、悔い改めるところがたくさんあります。
同じイエス様にある働き人を心から愛することもできなくて、福音のために命をかけるどころかな、と。
世に出て行って、救いを告げ知らせるためにも、まずはもっと私たち自身が聖霊に満たされて、恵みに満ちあふれるような信仰者になるように、そのことを願って祝福して、お祈りいたします✨」
アーメン✨
メッセージ要約 Satoko.M

